ランニングシューズ

 

最近、新しいランニングシューズを、違うメーカーのものを1足ずつ買いました。

そもそもシューズの寿命を意識しだしたのは、月間の走行距離を測定しだしてからです。

GPSウォッチで走行距離を測定する前は、距離に関係なく、2、3年ごとに気分を盛り上げるのを狙ってイベント的に買い換えていました。

ネットで調べると、もちろんシューズにも寿命があって、700~800Kmを走ったらそろそろ替え時という意見が多かったのです。

私がメインで使っているシューズは800Kmを軽く超えていて、もうすぐ900Kmに届く感じでしたから、それによると十分に替え時になっていました。

私の場合、800Kmって言ったら2、3年どころか6ヶ月ぐらいで走り切ってしまうし、ホントか?という疑いの気持ちではあったのです。

まだ使えるんじゃない?って、疑心暗鬼でした。

けれども、よく見るとメッシュアッパーの親指の部分が薄く破れそうになっていますし、アウターソールの溝も削れてしまって丸坊主になってしまっています。

いくらお気に入りだからと言っても、これでは滑って転んでしまう危険もありそうです。

ということで、色違いの同じものをまず1足買いました。

もう1足は、アウトレット・セールで型落ちのものを約半額で購入しました。

違うメーカーなので、クッション性と反発性にそれぞれに特徴があります。

実際に走ってみると、地面からの反発が微妙に違っていて、自分のフォームを見直す良い機会になったと思います。

2足を交互に使うようにすれば、1年間はこれでいけるという計算です。

今年の末にはNAHAマラソンのリアル大会が復活してくれるのではないかという希望を持ちつつ、楽しくジョギングを続けようと思っています。

 

「5月15日」

 

今日5月15日は、沖縄が復帰した日です。

50周年にあたる今年は、県内の様々な場所で様々な企画が催されています。

時間が空いた時に本屋に寄ってみたら、入り口近くの一番目立つコーナーに、いわゆる沖縄関連本がずらっと陳列されていました。

沖縄県の復帰当時の知事である屋良朝苗氏の書物など、当時の状況を改めて学ぶ機会となっています。

50年前の私は小学1年生。その日は月曜日で雨だったというのを覚えています。

小ぶりになるのを待って運動場で全体集会をしました。

ですから、私の思い出には、運動場の水たまりの赤土でビチョビチョになった自分の白い靴のシーンと「沖縄復帰」が不思議にリンクしています。

ほかには、ウルトラマンエースの筆箱とニコニコマークの下敷き。女の子はチャッピーの筆箱。ニコニコマークのことは、私たちは「ピースマーク」と呼んでいました。

高学年は、復帰記念メダルをもらっていたように思います。

5月といえば梅雨どきですから、偶然でもないのでしょうが、今日も朝から雨です。

730の時もそうでしたが、沖縄って、意外に「雨男」ならぬ「雨島」なのかも知れないと、勝手に思ってしまいました。

 

 

「喜神なかるべからず」

 

今日は菜根譚から。

 

疾風怒雨、禽鳥戚戚。

霽日光風、草木欣欣。

可見天地不可一日無和気、

人心不可一日無喜神。

 

こんな読み方です。

 

疾風怒雨には、禽鳥(きんちょう)も戚々たり。

霽日(せいじつ)光風には、草木も欣々(きんきん)たり。

見るべし、天地に一日も和気なかるべからず、

人心に一日も喜神なかるべからず。

 

最後の「人心に一日も喜神なかるべからず」という言葉は、私も聞いたことがあります。

こんな訳になります。

 

嵐の日は、鳥さえも不安でおびえて悲しげに鳴く。

晴天で風の穏やかな日は、草や木も喜び楽しげである。

だから天地の間には一日でものどかな陽気がなくてはいけないし、

人の心もたとえ一日でも喜びと楽しい気持ちがなければならない。

 

ずっと面白くない日が続いたとしても、笑顔がない毎日ではいけない。

喜びを見つけて、笑ってみようという教えです。

喜神とは子どものように無邪気に面白がる心。

天真爛漫な心を大事にしたいものです。

 

 

「禅問答」

 

はじめての「禅問答」~自分を打ち破るために読め!~ 山田史生著

著書にならって「禅問答」を辞書で引いてみるとこうあります。

 

ぜん-もんどう【禅問答】〔名〕禅の代表的な修行法の一つで、修行者が疑問を問い、師家がこれに答えるもの。また、わかったようなわからないようなやりとりや、かみあわない問答などにたとえていう。

 

この本では草分け的存在である「馬祖」の語録を取り上げ、詳しく解説してくれています。

「禅問答」を取り扱っていますから、その解釈のありようは無数に存在するものです。作者もそれを素直に認めていて、断定はせずに「私は少なくともこう思いたい」と提案の域にとどまっています。

馬祖の「むちゃぶり」に弟子としてどう答えるのが禅の道として正しいのか?そもそも正しいという基準はあるのか?

他の高名な禅師と同様に、馬祖禅師も歯に衣着せぬ激しい気性の方だったらしく、語録には「たわけ!」「ボンクラ!」などという激しい言葉が並びます。弟子も緊張の連続だったことでしょう。

例えば、禅問答のうちの短い例をあげてみます。

 

龐居士(ほうこじ)が馬祖にたずねる。

「一切の存在とかかわりをもたないものとは、どういう人間でしょうか」

「おまえが西江の水を一口で飲みきったら、そいつを教えてやろう」

 

さて、これをどう解釈するのでしょう。

一切のかかわりをもたずに生きるなんて、不可能です。ありえません。

筆者は、一切の関わりをもたないとは、その一切を内側に宿しているものなのだと言います。必要なものを内にのみこんでいるからこそ関わりを持たずに生きることができるのだと。

そして、パスカルの「考える葦」の喩えを足がかりに、人の意識や思考は、全てをその内にのみこめるのだとしました。

けれども、カントが述べた「主観そのものは客観のすべてをのみこむが、主観は客観とは客観的な関係性ではない」と、その矛盾を指摘しています。

それでは、いったい意識とはなんだろうという根本の問題に戻ってしまいました。

そのうえで、馬祖の「ありえないことが起こったら教えてやろう」と言った真意を読み解こうとします。

他者とかかわりを持たない、一切をのみつくしたものがあったとして、お前さん、そういうのが理想だとでも思っているのかい?

これは、どういう生き方を選ぶのかという禅の基本姿勢が表れた問答なのだと思いました。

師の「むちゃぶり」にどう答えるか?

昔の弟子たちは、かなり緊迫した修行の毎日だったに違いありません。

 

ビートルズ「Dig A Pony」

 

今月の(というよりも先々月からの)ギター教室の課題曲はルーフトップ・ライブ、セトリシリーズの「Dig A Pony」です。

3拍子のロックで、イントロのギターとベースのユニゾンのフレーズが印象的な曲です。

アルバム「Let It Be」に収録されたジョンの曲。ライブ音源を編集していて、イントロ部分ではリンゴが鼻をすすっているのが聞こえ、「ワン・トゥー・スリー」という合図で演奏がスタートします。

このイントロをカッコよく弾いてみたい!と思って、私がリクエストしたのですが、リズム音痴の私には、これが難曲なのでした。

何度やっても運指が追い付かず、同じところを何度も間違えるので、わざわざ間違いを練習しているのか!と自分でも思ってしまうほどです。

イントロのあと、ジョージのパートを弾いてみたいという野望は置いておいて、とにかくコードを押さえてリズムについていくのに必死です。

元々のタイトルが「All I Want You」で、ジョンのヨーコへの想いをぶつけた曲らしいのですが、フィル・スペクターによってその歌詞がカットされ「Dig A Pony」に変更されてしまったという逸話が残っています。

今月で楽しめるぐらいには上達したいという目標があるのですが…。

ジョンの歌声が、私を何度も置き去りにしていくのです(笑)。

 

「考える前に動く習慣」

 

 

この本は、私の背中を後押ししてくれるような言葉に溢れていました。

「はじめに」の冒頭に、こんな言葉が並びます。

 

  • まず動く。そうすれば、何かが変わる。何かが始まる。
  • まず動く。そうすれば、体調がよくなる。元気が出る。
  • まず動く。そうすれば、余計な悩みや不安が消えていく。
  • まず動く。そうすれば、自信が生まれる。成果が上がる。

 

そして、続けて板橋興宗禅師の言葉。

「これはやったほうがいいかな、それともやらないほうがいいかな…と考えるから動けなくなる。頭を持ち上げるな。動いてしまえば、なんのことはない。」

 

この言葉は、私が最近信条とするものと一致していて、嬉しくなりました。

まず行動してみて、もし間違ったら、それを経験や教訓として、また行動を正していけばいい。まったくその通りだと思います。

そして、本文中に具体的なポイントを七つ挙げています。

 

  1. 週単位で、曜日ごとにやるべきことを決めておく
  2. 「忙しいからあとで」をやめる。
  3. 「やらないこと」を先に決めてしまう。
  4. 「探しもの」を減らす。
  5. 「大差のないことに悩まない。
  6. 人に任せる。
  7. 予定を簡単に動かさない。

 

ここでも、3.の「やらないこと」を先に決めてしまうというのは、深く共感しました。「今日はやらない」と決めてしまうことは、集中力を高める鍵だと思うのです。

 

「もうあかんわ日記」

 

最近読んだ本の中でバツグンの吸引力でした。

本の帯にある言葉が全てを物語っていましたので、紹介しますね。

 

 

父は他界、弟はダウン症

母は車いすユーザー、からの

コロナ禍に生死をさまよう大手術

間に祖父の葬式が挟まって

ついには、祖母がタイムスリップ

―残された長女(作家)にすべてのタスクは託された

 

次々におそいかかる「もうあかんわ」なラインナップ

なのにどうして

こんなに面白い文章が出来上がってしまうのか

読んでる側はいったいなんで

こんなに救われてしまうのか!? 

 

3月10日から4月15日までの

岸田奈美のnoteに書かれた泣けて笑える祈りの日々

 

「人生はひとりで抱え込めば悲劇だが、

人に語って笑わせれば喜劇だ」

 

放った言葉を本人の手で見事に体現した

読後、拍手喝采のエッセイです。

 

 

「ユーモアとは、にもかかわらず笑うこと」と語ったのは、死生学の哲学者アルフォンス・デーケン氏ですが、氏の講演で印象的だったのは、人は自ら笑うだけでなく、笑わせようとする生き物であると述べていたことでした。

ユーモアとジョークは違う。ユーモアは思いやりに満ちていて、どんな環境でも和やかな雰囲気を作り出すことができるものだ。

「にもかかわらず笑うこと」というのは、自分が苦しんでいるにもかかわらず、相手に対する思いやりとして笑いを示すということ。

この「もうあかんわ日記」はまさしくそれを体現した本なのだと思いました。

文体のリズムが、さくらももこさんのエッセイに似て歯切れよく読みやすいです。

 

この本は皆さんにかなりおススメです。

 

「呼吸の日」

 

今日5月9日は「呼吸の日」だそうです。

もちろん語呂合わせです。(ほかにも今日はアイスクリームの日でもあって、これは本格的な夏を迎える連休明けの日に記念事業を展開したのが由来の、マジメな日です。)

研修医の頃、最初に徹底して教わるのが、ヒトのバイタル・サインについてでした。

バイタル・サインとは、日本語に訳すと「生命徴候」なんてかなり大げさになってしまうのですが、簡単に言えば「脈拍」「血圧」「呼吸」「体温」の4つのことです。

これが正常範囲から逸脱していると、医療者は「患者の体に何か良からぬことが起きているに違いない」とアラートを感知するわけです。

例えば、「呼吸」の回数。

皆さんは自分の呼吸が1分間に何回なのかを知っているでしょうか。

「吐いて吸って」を1回と数えます。

アラームを1分間にセットして、試しに数えてみてください。

20回を超えるようなら、体に対する何らかのストレスがあるのかも知れません。

そのストレスとは、心身の痛みなのかも知れませんし、呼吸器そのものの不具合なのかも知れません。

そして「呼吸」の深さ。

顎でしゃくるようにしているのか、胸郭を目一杯つかって深くしているのか。

病態に関わる特徴を有した呼吸もあります。

きっかけは語呂合わせだったかも知れませんが、呼吸の日は、自分の呼吸に意識を向ける、いい機会になることを願います。

 

 

辞書で探す

 

ミーハーのことを話そうと思って、その前に何気なく国語辞典で「ミーハー」と検索してみました。

普段私が使っているのはiPadに入っている「精選版 日本国語大辞典」という辞書アプリなのですが、ヒットしませんでした。

あれ?機嫌が悪いのか知らん。

「ミーハー」がないわけないと思ったので、リアル辞書を持ち出してきました。

手元に置いてあるのが「三省堂 現代新国語辞典 第五版」です。

引いてみると、やっぱりありました。そりゃ、そうですよね。普通に使っている言葉ですから。

そして、なぜiPadの辞書アプリでヒットしなかったのかもわかりました。

本来、この言葉は「みいはあ」で、ひらがななんですね。iPad版で「ミーハー」と入力したので融通がきかなかったようです。

 

三省堂の辞書(リアルな方)には

みいはあ【ミーハー】〈名〉[俗語]←みいちゃんはあちゃん。

 

「みいちゃんはあちゃん」に行けと指示されたので「みいちゃんはあちゃん」を引くと

 

みいちゃんはあちゃん〈名〉[←みよちゃんはなちゃん][俗語]趣味や教養の程度のひくい人たちを見下していうことば。ミーハー。

 

ついでに、電子辞書に入っている大修館書店の明鏡国語辞典 第二版で「みいはあ」と引くと

 

みい-はあ[名・形動]軽薄で、周りの人の趣味や流行に左右されやすいこと。またその人。

△「みいちゃんはあちゃん」の略

表記:普通「ミーハー」と書く。

 

さすがに、この辞書には、普通「ミーハー」と書くと親切に書いてくれています。

複数の国語辞典を持っていると、その違いが勉強になります。

 

ところで、ミーハーの話って何の話でしたっけ?

どうでもよくなったので、それはまた次の機会にでも。

ちなみに、この「みいはあ」は明治のころから使われていた言葉のようですよ。

 

 

映画「幕が上がる」

 

ポール・マッカートニーのライブの動画をしょっちゅう観ている影響だと思うのですが、「ももクロ」関連の動画もおススメにかなりあがっています。

(ライブつながり?)

ももクロと言えば、中部病院時代の同僚の先生がモノノフを公言していて、ライブの楽しさを熱弁していました。

リアルタイムで盛り上がった訳ではないので、後から追いかける感じで私も控えめに応援しています。

いくつかの映画紹介サイトが、ももクロ主演の「幕が上がる」を高評価しているのも、実は最近知りました。

2015年公開の映画ですから、すでに7年前の映画なんですね。

どのレビューも単なるアイドル映画とは一線を画すという感じでしたし、青春映画として見ごたえがあるという評価でしたから、ネットで探して観てみました。

アイドルに乗っかる形でももクロのために書き下ろしたわけではなく、原作となるお話があって、それを映画化したようです。

ストーリー:地方都市の県立富士ヶ丘高等学校2年生の高橋さおりは、部長を務める演劇部最後の1年を迎えようとしていた。それぞれに個性豊かな部員たちと共に年に1度の大会、地区大会突破を目標に稽古に励む中、元学生演劇の女王だという吉岡先生が赴任してくる。吉岡の指導の下、全国大会出場を目指し彼女たちの演劇に打ちこむ日々が始まる。

百田夏菜子さんが演劇部の部長役。

リアル世界でも、彼女はももクロのリーダーですが、彼女のトレードマークともいうべきエクボ全開の明るい笑顔があえて(?)封印されていました。

アイドル映画といえば、ビートルズが端を発してしまったドタバタ劇が定番かと思ったのですが、そんなことはなかったです。

アイドル映画と捉えられないということは、「ファンでない人にも届く映画」でした。

さすが、ももクロ。当時、中部病院時代の先生も鼻高々だったことでしょう。