九相図

 

「九相図」というカテゴリーの仏教画があります。(くそうずと読みます。)

 

人の亡骸(なきがら)が腐敗して白骨化するまでの変化を9つの段階で描いた絵画です。

主に鎌倉時代から江戸時代にかけて描かれました。

 

不気味な絵なのですが、私は昔から不思議にその絵に惹きつけられていました。

仏教では、死体の変化を9段階に分けて観想することで、人の肉体への執着を滅却する修行として使われていたそうです。

サマタ瞑想の不浄遍に当たる、いわゆるイメージトレーニングです。

 

 

それから、九相図にはもうひとつの役割を担っていたと言います。

それは男性の、女性に対する欲望を戒める役割です。

 

絶世の美女も、死んでしまったら皆醜くなって骨となってしまうのだよと、男性に向けて女性に対する執着を捨てなさいという教えが込められているということです。

人間は、死んでしまったらみんな骨となり土に還る。欲望を燃やす対象になっているのは、その骨を覆っている肉にすぎない。

肉体への執着は、自他の区別なく渇愛となって、苦しみの原因となります。

 

もっと、九相図について調べてみたいと思いました。とても興味深い絵画です。

 

下の図は、ウィキペディア・コモンズから引用してきました。

さすがに、途中の腐乱した屍は掲載を控えました。

Nine Stages of Decomposition of the Heian Period Empress Danrin, Honolulu Museum of Art I

 

Nine Stages of Decomposition of the Heian Period Empress Danrin, Honolulu Museum of Art III

 

 

熱中症に注意!

 

高校野球の沖縄県予選の決勝も終わり、いよいよ夏本番となってきました。

学生さんも、今週末には夏休みが始まりますね。

 

 

楽しい夏も、熱中症になってしまったら、元も子もありません。

とにかく、熱中症対策を怠らないようにしましょう。

 

 

具体的には、まず「気温と湿度」がどうなっているのかを常に気を配るようにしましょう。

それは、野外活動だけでなく、室内についても言えることです。

今いる部屋の気温と湿度が、どうなのか。日中はこれからどれだけあがっていくのか。

扇風機やクーラーを使って、適度な涼しさを保つようにしてください。

「我慢」だけはしないようにしてくださいね。

 

 

また、水分はいつも手元に持っておくようにしてください。

手元にないと、習慣づいていない人は、なかなか水分を口に運ばないものです。

 

 

意外なのは「何を飲めばいいのですか。」という質問が多いことです。

そういう方は「お茶は利尿作用があるらしいですし、コーヒーはカフェインが入っているから飲み過ぎはだめだと言われたし、スポーツ飲料は飲み過ぎると糖尿病になるって聞いたことがあるし…」と、自分なりによく勉強されている方が多いです。

「水は?」と訊くと「水は嫌いなんですよね。」と困った表情をされています。

 

「水分なら、何でもいいんですよ。お茶が悪いということではないんです。心配なら、お茶だけ飲むのではなくて、ペットボトル1~2本ぐらい、コーヒーも1日2杯ぐらいまでにして、スポーツ飲料も1~2本ぐらい。あとは、味噌汁、スープ、ゼリー、果物、少しずつをこまめに摂るというのはどうですか?」と提案します。

 

 

脱水になると、熱中症のリスクが一挙に高まります。

手元に飲み物を持ち歩きましょう。

 

 

 

 

 

花咲く庭

 

先日、実家に行くと、母が待ってましたと私を庭のはしっこに連れてきました。

「見てごらん。あんたが写真を撮るから、新しいのを買ってきたさ。」

「ははは。人間を写すより花の写真が多いよ、最近。」

子どもたちが大きくなってくると、被写体が段々と変化していくのを感じています。

「でしょ。ほら、これ。」

庭に、新入りの観葉植物が増えていました。

「おお、なかなかきれいだね。」

「そうそう。ちゃんときれいに撮ってね。」

何という名前なのかは、気にする人ではないので、敢えて聞かないことにしています。

 

気がつけば、花いっぱいの庭になってきています。

 

 

こころの時代アンコール シリーズ 禅僧ティク・ナット・ハン

 

土曜日の昼。7月1日のことでした。

外来診療と透析室の回診を終えて、スタッフルームで遅い昼食を摂っていると、BGM代わりに流していたテレビの画面に釘付けになってしまいました。

 

 

そこに流れていたのは「こころの時代 禅僧ティク・ナット・ハン」のシリーズ2回のうちの1回目のアンコール放送でした。

2015年4月に1回目の放送があって、今回で実に3度めの再放送とのことです。それだけ視聴者の心をとらえたということなのでしょう。

 

 

この放送を見るまで、実は私はティク・ナット・ハン師のことをほとんど知らなかったのです。

ふと思い出して、放送を見終わった後に(もしかして…)と院長室の本棚を探してみたら、何冊かティク・ナット・ハン師の著書が出てきたので、それには苦笑いするしかありませんでした。

ティク・ナット・ハン師が何者であるかを知らずに、その著書だけは読んでいたのです。

 

 

ティク・ナット・ハン師の紹介は、プラムヴィレッジ・サンガ・ジャパン・ネットワークのホームページに詳しく載っていますので、そちらをご覧ください。

こちら → 「ティク・ナット・ハンについて」

 

 

ガンジーやキング牧師、マザー・テレサを彷彿とさせる現代の偉人であることがわかりました。

西洋にマインドフルネスを紹介した人でもあったのですね。

 

 

第1回の「怒りの炎を抱きしめる」は、ベトナム戦争に巻き込まれ翻弄されるティク・ナット・ハン師の半生を振り返りながら、師の教えと実践を追いかけたドキュメンタリーです。

番組の冒頭では、法話会か何かのQ&Aの時間なのでしょうか、小さな女の子がティク・ナット・ハン師に質問をする場面から始まります。

 

女の子:お兄さんや妹に腹が立ったとき、どうしたらいいですか? 

ティク・ナット・ハン:腹が立ったときは何も言ってはいけません。何もしないほうがいいです。

自分に戻って、ゆっくり息を吸って、息を吐きます。それを何回かして、何か行動を起こす前に、怒りの面倒をみてあげます。これは平和の行動になります。

すぐに反応したりしないんです。自分の怒りの面倒の見方を知っていれば、ゆっくり呼吸しながら「今のはカチンときた。でも別に反応して行動する必要はない」とわかりますし、

「この人は今、幸福でないから、あんなことをしたのだ」と思えますから、その人に対して思いやりを持ち微笑みます。これは大きな勝利です。

 

そして、こうナレーションが続きました。

「ティク・ナット・ハンの原点、それは祖国を焼き尽くしたベトナム戦争でした。怒りと憎しみが渦巻く中、ティク・ナット・ハンは、自らの怒りを見つめることで、敵味方の区別なく、ありのままを慈しむ境地に至ります。そして仏教の力により世界を変えることができると立ち上がります。」

 

当時を想像するに、凄まじいとしか表現のしようがない実践です。

こんな人が、世の中にまだいたのかと、愕然としてしまいました。

 

ティク・ナット・ハン師のことを、もっと学んでみたいと思いました。

 

夏目漱石「私の個人主義」

 

「私の個人主義」は、夏目漱石が学習院の学生たちに講演した内容を文章化したものです。

もちろん、青空文庫で読むことができます。

こちら→ 「私の個人主義」青空文庫

 

 

「何をしたいのかわからない。」

「願いは叶うものだと煽られるけれども、そもそも何を願っているのかわからない。」

自己啓発やポジティブ思考がもてはやされる昨今、こういう悩みを持つ人は意外に多いものです。

 

 

若かりし日の夏目漱石も、その苦しみに悩みつづけた一人でした。

「私はこの世に生れた以上何かしなければならん、といって何をして好いか少しも見当がつかない。私はちょうど霧の中に閉じ込められた孤独の人間のように立ち竦(すく)んでしまったのです。そうしてどこからか一筋の日光が射して来ないかしらんという希望よりも、こちらから探照灯を用いてたった一条(ひとすじ)で好いから先まで明らかに見たいという気がしました。ところが不幸にしてどちらの方角を眺めてもぼんやりしているのです。ぼうっとしているのです。」

 

 

極限的な局面に追い詰められた夏目漱石は、「自己本位」という考え方に到達します。

「私はこの自己本位という言葉を自分の手に握ってから大変強くなりました。彼ら何者ぞやと気慨が出ました。今まで茫然と自失していた私に、ここに立って、この道からこう行かなければならないと指図をしてくれたものは実にこの自我本位の四字なのであります。」

 

 

「自己本位」とは、「わがままであれ」と言っているのではありません。

自分の思考、特に関心は、結局自分にしかわからないということです。

他人が押し付けた価値観や表現は、「他人本位」にしかなりません。「他人本位」のモノサシで自分を測っても、自分のやりたいことや願い事が測定値として出てくることはないということです。

 

 

「自分本位」の目盛りを刻んだモノサシを使うようになってから、「大変強く」なったのだと夏目漱石は言っています。

勇気を与えてくれる言葉だと思います。

 

 

孤独の効用

 

この歳になると(!)自分の孤独については、あまり特別な扱いをしなくなります。

(と言っても、私を古くから知る人は、どちらかと言うと独りが楽というのを知っているので、「あなたの場合、歳とは関係ないでしょ」と指摘されてしまいそうですが。)

 

 

渡辺和子さんは、その著書の中で、孤独についてこう語っていました。

「否が応でも襲ってくる孤独感があったとしたならば、それをしっかり受け止めて、闇がもったいないという感覚で、この孤独を味わえる間味わって、安易なものでこわさないでおいてください。そうすると人間が深くなります。」

 

 

独りでいて、特に沈黙を続けていると、内省が深まっていきます。

それは、例えば、日が暮れた公園をウォーキングする時の、心の静寂に似ています。

瞑想に近い感覚と言ってもいいかも知れません。

 

 

「闇がもったいない」という表現は、言い得て妙だと感心しました。

この場合の闇は、忌み嫌われる闇ではなく、私たち人間の、いつもは光が届かない心の深淵のことを言っているのでしょう。

泉の深い深いところにある底を、安易にかき混ぜて細かい泥の粒子で濁らせてしまわないように、じっと息をこらえて潜っていく感覚です。

 

 

人間が深くなる実感は、まだありませんが、気持ちは落ち着いてきます。

 

 

 

熱中症に注意!

 

「若い人はね、すぐ暑いだの寒いだの言うけれど、自分たちは昔から鍛えているからね。」

「クーラーなんかには頼らないよ。自分たちの世代は、そんなのなかったんだから。クーラーは嫌いだ。」

「それでも、健康に生活してきたさ~。」

 

そう語られる方が時々居られます。

それを聞いている私は、とても不安な気持ちで、その方のお話が一息つくのを待っています。

 

昔の沖縄は、クーラーの必要がないように家屋も工夫されていました。

下の写真は、「仲村家」ですが、風通しの良い造りになっています。

 
Nakamura House Kitanakagusuku21n3104
 

今の家の造りと違っていますから、単純に比較することはできませんね。

今の家は、どの部屋も戸締りができるようになっているので、空気がこもるような造りになっています。

 

熱中症は、家の中でも起こります。

どんなに体を鍛えたアスリートも、対応を怠れば、熱中症になります。

 

「自分だけは違う」というのは、間違いです。

水分をこまめにとって、暑さ対策をしてください。

 

 

2匹の小さなネズミ

 

「Catch Me If You Can」のネタから。

 

主人公フランクは、両親への愛に溢れ、いつかかつてのように家族とともに一緒に暮らしたいと願っている少年(!)です。

彼の憧れは実は切ないほどにシンプルなのです。それは、幸せだった頃の家族に戻ること。

特に父親への感情は、畏敬の念といっても良く、息子は父親の晴れ姿を、憧れの眼差しで見つめていました。

 

そのフランクの父親がスピーチで言ったセリフを紹介します。

 

Two little mice fell in a bucket of cream. The first mouse quickly gave up and drowned.

The second mouse… wouldn’t quit. He struggled so hard that eventually he churned that cream into butter and crawled out.

2匹のねずみがクリームの入ったバケツに落っこちてしまいました。1匹はあっさり諦めておぼれてしまいました。

でも、もう1匹は…諦めませんでした。必死にもがいた挙句、ついにクリームがバターになってそこから這い出すことができたのでした。

 

このエピソードに似たようなお話を、実は以前にもこのブログで紹介しました。

こちら → 「二匹のカエル」

 

この「two little mice」のお話は、この物語の中に時々出てきます。

それは、「決して諦めない」というメッセージを示すものであると同時に、フランクと父親の絆を結びつける役割をしています。

 

下の動画は、映画「Catch Me If You Can」から、父親のスピーチの場面です。

 

 

 

琉大ミュージカルの公開リハーサル

 

昨日の日曜日には琉大ミュージカルの公開リハーサルに行ってきました。

今回の演目は「Catch Me If You Can」

 

大学の体育館でのリハーサルでしたので舞台装置や照明は、あるものとして観るということで、けれども、本番まであと1ヶ月を切っている中で、かなりの完成度でした。

 

笑いあり、ほろりとくるシーンあり、キャストも役のキャラを良く掴んでいて、見事でした。冒頭からストーリーに入り込むことができて感情移入しました。

 

アンサンブルも、暑い体育館の中で激しいダンスの連発でしたが、表情も豊かに見応えがありました。何より舞台を明るく華やかにしていました。アンサンブルのダンスはミュージカルの醍醐味ですね。

(実際、熱中症で倒れるヒトがいたら、居合わせた医者として、どう動こうかと頭の中でシミュレートするほど激しい踊りでした。)

 

オーケストラは、いつもそうですが、文句なしに素晴らしかったです。

 

小道具は、茶目っ気も入っていて、細かいところで感心しました。センスが光るという感じです。

本番の舞台では、大道具の皆さんの本領発揮というところでしょう。

 

もちろん、皆さんにおすすめです。

 

短冊に願いごと

 

7月7日の夕方のこと。

 

小学3年生の姪っ子と夕食を食べていると、母が(つまり姪っ子にとっては“おばあちゃん”が)

「七夕の短冊にはどんな夢を書いたの?」

と姪っ子に問いかけました。

 

「ん?」

「書かなかった?」

「書いたよ。学校でも書いたし、ピアノ(教室)でも書いた。」

「じゃあ、教えて。」

「う~ん。」

照れくさいのもあったのでしょう。なかなか教えてくれません。

 

 

「『世界が平和になりますように』って書いたんだよな。」と私。

「いや、それは書かなかった…。」

「あ、そうだ。そういえば、書いた夢はちゃんとしまって、人に教えたらダメだったんだ。」

「え?」

「ほら、短冊に書いたらさ、黙っておかないと夢がかなわないんだって。」

「え? みんなに教えてしまったけど…。」

「ありゃあ、もったいない。」

「どうしよう。」

ちょっとかわいそうになったので「うそだよ。内緒にしておかないといけないんだったら、あんな目立つ短冊に書いてかざらないでしょ。」と笑いました。

 

 

姪っ子の夢をあとで教えてもらいましたが、子どもっていいですね。

 

私が子どものころには、短冊にどんな夢を書いていたんでしょう。