患者の経験を理解する

 

全人的医療の実践を行おうと思うとき

疾患(Disease)と病気(Illness)の違いについての理解が促されます。

 

簡単にいえば、「疾患」とは医師が患者の状態を説明するために分類し定義したもの。

「病気」とは、患者が抱える問題や主観的な経験のことと説明されています。

 

そもそもが、同じ経験を表現するのに、医療者側と患者側の双方の言語が違っているという反省をもとにしたものです。

患者側は、自分の経験を表現する方法を学んだことがありません。

日常生活の中で考えたこともないと思うのです。

 

たとえば、「お腹が痛い」にしても、診察する医師から矢継ぎ早に質問を浴びせられた経験をお持ちの方はたくさんいらっしゃるのではないでしょうか。

特に救急外来ではこんな感じです。

「いつから痛いのですか?」「何をしている時?食事と関係ありますか?」

「どこが痛いのですか?」「痛みの間隔は?」

「どんな痛みですか?」「便はどんな?」

 

ちょ、ちょっと待って。私、痛くて答えられないんですけど…。

なんでそんなに責めるように訊くんですか…。

 

急性の疾患はとにかく、自分の状態を表現するって本当に難しいんですよね。

 

特に「どんな痛みか」って聞かれた時など、「とにかく痛い」としか言いようがない時ってあると思うのです。

(それをそのまま言ってくれたら良いのですよ

 

けれども医師は、すぐに手術が必要で、生命にかかわるような「急性腹症」ではないかと緊張し、焦っていますから、必死の診察を行います。

 

慢性の疾患でも、医師側と患者側の言葉が通じていないことは残念ながらあります。

表現する側は自分の状態をどう説明していいかわからないまま受診されている方がほとんどでしょう。

 

医師は患者が話すのをじっと黙って聞けませんから、その説明を遮って「あなたの言いたいことはこれですか。」と「表現」を手助けしたつもりでいます。

患者側は「ん?医療界ではそういうのか。何となく違っている気がするけど、そうなのかな。ま、いいや。その表現で。」と妥協してしまうかも知れません。

それが合っていればよいのですが、勘違いや全く通じていないことも時に経験します。

 

初診の方など、なんとかそれを防げないかというアプローチがあります。

患者さんの経験「解釈・期待・感情・影響」を探るものです。

クリニックの問診票の裏側にフレームをつくってみました。

それを意識しながらお話するだけでも変わるのではないかと設けてみたものです。

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台風17号 !?

 

9月になりました。

 

朝、涼しい風が吹いているなと思っていたら

いつの間にか久米島周辺の低気圧が台風17号になってしまったみたいです。

こんな近くで台風が発生するとは!?

びっくりしています。

 

毎年のことですが、沖縄はこれからが台風本番ですね。

 

昨年、沖縄本島を襲った大きな台風が9月29日でした。

(被害が大きかったのと、開業直前のことだったので良く覚えています。)

その台風が17号でしたから、発生した数としてはすでに今年は多いのかも知れません。

 

以前に比べて、「数は少ないけれど、猛烈に強い」印象があります。

 

「そなえよ つねに」

クリニックでも災害マニュアルを本格的に検討・運用しなければならないと思っています。

 

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高校のクラス会

 

昨日は高校のクラス会でした。

 

私は首里高校の出身です。

卒業して30年!?

1年の時のクラス会だったので32年!

その時間も一挙にワープしてしまうクラス会でした。

 

男子は芸術(美術や書道、工芸)と武道(剣道や柔道)の組み合わせでクラス編成をしていたので

美術&剣道クラスとして、約2年間全員持ち上がりのクラスでした。

女子も2年に上がる時に、一緒がいい!と言って抗議運動を起こすほど仲が良かったのです。

昨日の参加者も45人中30人の参加でした。

 

年月にまかせてどれだけ変貌しているのだろうかと思っていたのですが

みんなびっくりするほど変わっていなかったのです。

 

当時担任の又吉康仁先生もお元気で参加していただきました。

「きっと覚えていないだろうな」という私たちの心配をよそに

かなり特徴的なクラスだったようで、私たちの記憶よりもたくさんのことを覚えていてくださいました。

 

夏休みにはいって、クラスで渡嘉敷「青年の家」に宿泊に行ったこともありました。

夜には康仁先生が「ユーレイ話」をして肝試しをしました。

(いつの間にか夜が明けていました)

 

ある時には、ある先生の授業ボイコットをしたこともありました。

 

かと思ったら、ホームルームの時間にミニコンサートをしたり。

康仁先生はそんなクラスを愛情をもって自由に育ててくれました。

 

「トモアツ君、きみ、明るくなったね!」

みんなが「先生はトモアツのこと、どう見てたんだろう。」とずっこけていました。

 

幹事をしてくれた仲間に、本当に感謝です。

昔の仲間に会えたこと。

そして、それぞれがそれぞれの場所で頑張って生きていること。

いつまでも、かけがえのない仲間たちです。

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月末に思うこと

 

いつの間にか8月も今日で終わりです。

明日から9月になりますね。

 

毎月、月末になると振り返ることがあります。

スタッフ一人ひとりに対する私自身の振り返りです。

たとえば以下のことを思いはかっていきます。

 

・不満はないだろうか。あるとしたら何だろうか。

・逆に、現状に満足して、怠慢に陥ってはいないか。

・心に恐怖を抱いていないか。抱いているとしたら恐怖の対象はなんだろうか。

・やる気をそがれていないか。重たい空気を背負ってはいないか。

・ニヒリズムに陥っていないか。

・やりたい放題していないか。注意はしてきたか。

・依存の状況に浸かってはいないか。自主的なはたらきを発揮しているか。

・身体の健康状態はどうか。

・その人がつくっている人間関係はどうか。

・態度、行動、雰囲気はどうか。

 

どの社会、どの職場でもそうでしょうが、私たち医療者は

(周りの社会からは“良い人の集団”に見えるかも知れませんが)

決して「人間関係に波風を立てないこと」をテーマにしているわけではありません。

 

目的を支えるのが手段ですし

目的や目標を見失ってはいけないと思っています。

 

その目的を表しているのが「クリニックの理念」ですね。

 

 

こんなクリニックがあったらいいとは思いませんか?

 

スタッフ一人ひとりがよく話を聞いてくれて、不安な気持ちが癒される

患者とスタッフ一人ひとりが深い信頼の絆で結ばれている

そこに行けば元気になり、未来に希望が見えてくる

スタッフ一人ひとりに夢や願いがあり、元気に生き生きと働いている

最高・最適の医療を提供するため、スタッフ一人ひとりが最新の医療を学び続けている

 

わたし達の合い言葉(モットー)は 「いつでも どこでも その人らしく」

その前提になるのは「医療者である前にひとりの人間として」

 

「大事なものは、たいてい面倒くさい」

 

8月26日にたまたまつけたテレビで、宮崎駿監督のドキュメントをしていました。

NHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』のスペシャルです。

 

作品を生み出すまでの監督自身の想いや苦悩、周りの方々の想いも垣間見ることができて

やはり、いろいろと考えさせられました。

 

今回、番組が取り上げた監督の言葉が

『大事なものは、たいてい面倒くさい』

 

番組ホームページに監督の言葉がこう続きます。

 

「面倒くさいっていう自分の気持ちとの戦いなんだよ。

何が面倒くさいって究極に面倒くさいよね。

『面倒くさかったらやめれば?』 『うるせえな』って、そういうことになる。

世の中の大事なことってたいてい面倒くさいんだよ。

面倒くさくないところで生きていると、面倒くさいのはうらやましいなと思うんです。」

 

生き物として生きるということは、苦しい・痛い・危険を遠ざけながら

安楽・安全を求めていくことだと言います。

種の保存本能がそうさせているのです。

人類種は、そうやって生き延びてきたはずです。

 

ただ、人として「生きる」ということ

実感をもって大切に生きるということは

それこそ大事なことを、切実に、コツコツと実行し続けることに尽きるのだと思います。

 

大事なことに蓋をしない。

感覚を鈍らせてまで面倒くさいことに気づかないふりをしない。

あえて面倒くさい道を選択していく。

そこに自分の大事なものがある。

 

 

深い言葉ですね。

自分に言われているような気がしますものね。

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「医師が1人で診る適正な透析患者数について」  文献から

 

透析医としては、考えさせられる論文が発表されていました。

 

腎臓内科医が担当する血液透析患者数とその治療成績について(都市部における調査)

Nephrologist Caseload and Hemodialysis Patient Survival in an Urban Cohort

Harley KT, et al. J Am Soc Nephrol. 2013 Aug 8.

 

アメリカのカリフォルニア州都市部の調査です。

2001年から2007年までの間、腎臓専門医41人の治療を受けている透析患者さんについて調べました。

 

今回の研究は、医師が担当している患者数とその透析治療成績を、生存率で評価しました。

 

調査では、医師が1人で担当している患者数は50人から200人の幅があったようです。

 

それで担当患者数が少ない医師の方が、治療成績が有意に良かったらしいのです。

担当する患者が50人増えるごとに、患者の死亡リスクが2%高まったとも言っています。

 

この研究では、「なぜそうなのか」や「因果関係」については言及していません。

 

ただし、「医師が担当する患者数には適正な比率が存在する」という問題提議をしてくれたのだと思います。

それは医師だけでなく、透析スタッフの適正な配置数にも言えることでしょう。

 

それにしても、1人で200人の患者さんを診ているドクターがいるというのはすごいですね。

ドクターの複数担当制を敷いている施設が多いとは思うのですが。

 

 

医療支援アプリ

 

スマートフォンが普及するととともに、たくさんの医療アプリが出ているようです。

情けない話ですが、この分野では医療者は(少なくとも私は)情報が遅れがちなんですよね。

患者さんがアプリを駆使して自己管理の成果をあげているのをみると

「何ですか、それ。見せて見せて。」と素人みたいな顔をして教えてもらいます。

あ、そうか。アプリに関しては素人と言ってもいいですね(笑)

 

なかでも糖尿病管理の支援アプリを活用している方がいらっしゃって、感心していました。

毎日の血糖管理やインスリンの記録、症状の記録も記入できます。

プリントアウトして私たちと共有することもできますし

スマートフォンは毎日いつもそばにあるものですから、便利ですね。

ライフパレット

一例として、ライフパレット ダイアベティスというアプリがありましたので、紹介します。

(画像にリンクを貼りました)

 

こういう医療支援アプリがどんどん増えてくることを期待しています。

 

 

 

 

「たつのこたろう」

 

子どもたちと仮面ライダー電王の話をしていて、愕然としたことがあります。

 

電王では味方の複数のイマジンの力を借りて変身するのですが

変身後には、そのイマジンの特徴が表れたフォームになります。

(電王のお話は今さらという感もありますし、私が説明するのも変な感じがしますが…)

 

主人公である野上良太郎に憑依していたイマジンが以下の通りです。

モモタロス

ウラタロス

キンタロス

リュウタロス

 

ジーク

 

ジークを除く上の4人のイマジンがほぼレギュラーなのですが

これらのイマジンはお察しの通り、日本の昔話に出てくる「~太郎」がモチーフになっています。

桃太郎

浦島太郎

金太郎

 

子どもたちと話していると、さて「リュウタロス」のもとネタが何だかわからないと言い出してきました。

「『リュウタロス』は 『竜』 だから 『たつのこたろう』 でしょう。」

「たつのこたろう? 知らない。」

「え? 『まんが日本むかし話』 のオープニングに出てくる竜に乗っている男の子、あれ知らない?」

 

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図はamazon.co.jpのホームページから

 

もしかして、子どもたちが知らなかったのは、桃太郎や浦島太郎と違って

松谷みよ子さんが民話をもとに創作したものだからなのでしょうか。

 

  たつのこたろう (講談社の創作絵本) 松谷 みよ子 (著)

 

子ども達との認知度の差に、少々愕然としていました。

 

 

アンペルマン好きの娘

 

次女が最近はまっているものがあります。

それはアンパンマン!じゃなくて

「アンペルマン」

 

ANPELMANN JAPAN のサイトがありますから、貼っておきますね。

どんなデザインなのかというのは詳しくはそこをご覧ください。

頭でっかちのとてもかわいらしい「歩行者」です。

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アンペルマンって何?に詳しくありますが

旧・東ドイツ時代に誕生した、「歩行者用信号機」のシンボルです。

 

1961年生まれというのですから、すごく先進的な試みだったのだと思います。

交通心理学者のカール・ペグラウという方が生みの親。

 

信号機として優れているのは、進行と停止の意味を

青と赤だけでなく、表情や身振りなどで絵文字として誰でも理解しやすい点にあるのだと言います。

 

現代においても、通せんぼするようなジェスチャーのシルエットなど

かなり優れたデザインではないでしょうか。

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そのアンペルマンも、ドイツ統一の時に旧東ドイツのデザインなど文化的なものが消えていったなかで

撤去されて西ドイツの信号機にどんどん置き換えられていったそうです。

 

面白いと思ったのは、このデザインに親しんでいた市民が

「アンペルマンを救え」という救済運動を起こしたことです。

 

1997年に実を結び、撤去されていたアンペルマンの信号機が再びベルリンの交差点に復活したということでした。

 

 

生活に密着したもの、そのデザイン。

アンペルマン救済運動は文化復興運動だったのでしょうね。

 

 

風邪のひきはじめにヒトは優しくなる?

 

かなり以前読んだ本に「パラサイト・イヴ」(瀬名秀明著)があります。

 

リチャード・ドーキンス博士の利己的遺伝子説

「生物は遺伝子によって利用される“乗り物”に過ぎない」

をモチーフにしたホラー小説でした。

 

 

細胞の中の小器官であるミトコンドリア。

そのミトコンドリアのDNAは、実は細胞の核DNAとは別にあります。

ミトコンドリアのDNAを中心にすえると、そのDNAはミトコンドリアを“乗り物”にしていて

さらに細胞、もっと言えば生き物を“乗り物”にしていることになるというものです。

ミトコンドリアDNAが意思を持ち、“乗り物”である生き物を操作、操縦することができたらという発想で生まれたホラー物語でした。

 

生物の進化論など、科学的な要素も入れ込みながら発想が面白く、当時興奮しながら読んだことを思い出します。

 

なぜ「パラサイト・イヴ」の話を持ち出したかというと、こんな言葉にぶつかったからです。

「風邪の引き初めには人は優しくなる。それは病原体が感染率を高めるためである。」

 

ちょっと素通りしかけて「ん?」と思いました。

風邪を引いた人に(特に家族に)優しくしてあげるのは普通の行為ですね。

でも、これは風邪を引いてしまった側のことを言っているようです。

 

例えばちょっと気難しくて普段は人を寄せ付けない人でも、病原体が人を操作して優しい雰囲気を出してしまう。

周りの警戒心を解いて人を寄せて、風邪の感染率を高める。

…なるほど。面白い説ですね。

 

なんだか、そう言えば…と思い当たるシーンもなくはないかなあ。

だけど風邪の引き初めって、体もだるいし、あまり考えたくもないし

自重するし、確かに攻めないですから。

そういう雰囲気を「優しくなる」と言っているだけのような気もしますが…。

 

ただし、この10年間で人間の体内外に生息する微生物集団やウイルスに対する考え方が変わってきています。

「微生物集団は私たちの体の一部である。」というものです。

 

総称してヒトミクロビオームと呼ばれています。

ヒトの体内には多くの微生物が共生していて、実に細胞の90%は微生物なのです。

腸内だけでも1,000種もの微生物が生息しているといわれているのです。

 

例えば、時々野菜を食べたくなったり肉を食べたくなったり。

自分の脳が感じた食欲だと思っていたものが、実は腸内細菌からの指令かも知れない。

「肉足りないぞぉ。肉喰え~。」とか。

宿主に対して焼肉屋に向かわせる信号を送っているかも知れない。

そんな説も出てくるかも知れませんね。

(まっさきに食欲を抑えられない人の言い訳に使われそうです(笑))