渡辺和子さんの著書の中に、こんな箇所があります。
「こんなことで今日一日、いやな思いをさせられてはたまったものではない」と視点を変え、「感謝されるにこしたことはないけれど、されなかったからといって、どうということはない」と思い直すのです。
自分をだましているのかも知れません。ずるい、消極的と言われるかも知れません。
でも、世の中は決して自分の思い通りになるものではないし、いつまでもそのことなり、人にこだわっているよりも、それから自分を解放することの方が、精神衛生の上で、どれほどよいかわかりません。
この文章は「感謝されるに値することをしたのだから、感謝されて当然」と、相手の恩知らずを強調したくなることがある、という書き出しで始まります。
つまり、ものごとというのは得てして自分の捉え方にかかっている場合が多く、心の自由とは全て自分次第ということを述べたものです。
こだわりに縛られて不自由になっている方を時々見かけます。
どうしても許せない思いは、その人の人生を台無しにします。
こだわりを捨てて自分を解放すればどんなに楽だろうと思うのですが、自分ではどうしようもないと思い込んでいることが多いような気がします。
そういう人々に対して、わかってもらうには言葉では通じないだろうということも経験上知っています。
後戻りができないような強い後悔がなければ、立ち止まり省みることもないかも知れませんね。
こだわりを捨てるには、それ以上の強いエネルギー(後悔)が必要です。
そして、後悔には、それと同等の熱量の強い願いが隠されているものです。