台風7号(プラピルーン)

 

台風7号(国際名:プラピルーン)が沖縄地方に近づいていますね。

 

30日午前6時の時点では、中心気圧が996hPaですが、北上するにつれてどんどん勢力を増してくるようです。

沖縄近海の海水温は高くなっていますから、そのエネルギーを吸収していく印象です。

 

 

この週末に第63回透析医学会学術集会(神戸)に参加予定だったのですが、この台風の影響で断念せざるを得ません。参加できたとしても、日曜日のうちに沖縄に戻ってこれないかも知れないからです。

やはり自然の力には勝てません…。

 

プラピルーンとはタイの言葉で「雨の神」だそうです。

その名の通り、ひまわり8号の画像をみると、雨雲が発達しています。

 

警報級の大雨になるかも知れません。

前回の台風6号と同様に発生してから沖縄に近づくまでの時間が短いのですが、台風対策はしっかりと行ってください。

 

今のところ、2日(月)の診療には影響は出ない見込みですが、台風の進行具合によっては影響が出るかも知れません。

今後の台風情報にもご注意ください。

 

ワールドカップサッカー グループリーグ最終戦

 

 

昨夜はW杯サッカーの日本の試合を観るために、仕事を早くに終わらせて(家にはテレビがないので)テレビのあるところに早くから観戦態勢をとりました。

 

ゲームの開始前にピッチ上の気温が35℃と表示されていました。

「どこでやっているんだ?」と思ったら、ほとんど黒海に近い地域なんですね。ウクライナとかカザフスタンにはさまれたところにありました。

 

案の定、試合は消耗戦の様相を呈して、暑さと重力がまとわりつくようなこう着状態が続きました。

 

終盤は「ドーハの悲劇」を思い起こさせるような「このまま終了すれば先に進める」といった中での試合展開になりました。

 

難しい決断だったと思います。西野監督は大きな賭けをしました。

1点差で負けてもよしとする負の現状を受け入れ、他力に賭けたというのは凄い決断です。

どちらにしても批判は受けるだろうと予想もされましたし、試合会場に響くブーイングがすでに評価を表していました。

 

自分が同じ立場だったら、ひとりでこの決断をし、批判を受ける覚悟が持てただろうかと思います。

流されることの多い私には、到底無理だと思います。

いろいろあるでしょうが、私は素直に凄い人だと思いました。

 

決勝トーナメントはのびのびと試合をしてほしいです。

 

「ニコニコ」

 

モタさん(斉藤茂太さん)の「生きがい探し」という本を読みました。

 生きがい探し 斉藤茂太著

 

この本は、精神科医の視点が勉強になり、それと同時にモタさんの「自分の心の取り扱い方」についての提言が参考になります。

例えば、「ストレスを柳に風と受け流す」の章。こんなことが書いてあります。

 

 会社で同僚に嫌味を言われた、あるいは夫婦ゲンカをしたとしよう。マイナス因子に捕らわれて「イライラ」したり、物事を「ウジウジ」と考えていると、ストレスはたまるばかりである。そんなときは「まあ今日だけは、好きなことを言わせてやるか」ぐらいにいなしてしまえば、「イライラ」も「ウジウジ」も起こらない。ちょっとしたプラス思考を呼び込めば「プラス・マイナス=ゼロ」に近づける。それだけストレスも小さくなる。

 私はよく、人に「あなたは忙しくて大変でしょうに、いつもニコニコしている」と言われる。だが本当の「ニコニコ」ではなく、偽の「ニコニコ」、プロの「ニコニコ」であることもままある。むろん私も心配や辛さで、精神安定剤や眠剤を飲まねばならなぬこともある。だが人前では、無理をしてでも「ニコニコ」しているのかもしれない。

 人間は悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しいのだという説もある。いくら悲しくても、先手を打ってニコニコしていれば、自己暗示にかかって心が晴れることもありうるのだ。いやなこと、辛いことを「楽しみ」に転換するのも一法だ。

 

「先手を打ってニコニコする」

このブログでも度々取り上げていますが、心身一如が真理であるのならば、身体で心をひっぱってあげるというのは、良い効果が期待できる、ひとつの手段だと思います。

口角をあげて無理やりにでも笑顔をつくる。

落語や漫才を聞いて笑う。

笑う門には福来たるというのは、本当だと思います。

 

 

「昨日はどこにもありません」

 

三好達治の詩はどれも好きなのですが、特に好きな詩があります。

「昨日はどこにもありません」という詩です。

 

この詩のフレーズに触れるたびに、しっかりと今日を生きようと思います。

 

 

昨日はどこにもありません

               三好達治

 

昨日はどこにもありません

あちらの箪笥の抽出しにも

こちらの机の抽出しにも

昨日はどこにもありません

 

それは昨日の写真でせうか

そこにあなたの立つてゐる

そこにあなたの笑つてゐる

それは昨日の写真でせうか

 

いいえ昨日はありません

今日を打つのは今日の時計

昨日の時計はありません

今日を打つのは今日の時計

 

昨日はどこにもありません

昨日の部屋はありません

それは今日の窓掛けです

それは今日のスリッパです

 

今日悲しいのは今日のこと

昨日のことではありません

昨日はどこにもありません

今日悲しいのは今日のこと

 

いいえ悲しくありません

何で悲しいものでせう

昨日はどこにもありません

何が悲しいものですか

 

昨日はどこにもありません

そこにあなたの立つてゐた

そこにあなたの笑つてゐた

昨日はどこにもありません

 

 

 

 

嫌な自分

 

その人は「自分が嫌で、自分を消してしまいたいと思って。」と言いました。

私は「そう。」とだけ返事して、否定も肯定もしませんでした。

自己嫌悪に陥っている人は、自分で自分を見つめていくしかないと思っているからです。

作家の竹西寛子さんは、こんな言葉を言ったそうです。

 

「人生とは、嫌な自分をどこまでも連れて歩くことです。」

(「人生を変える言葉2000」より)

 

誰もがそうなのです。

「自分が好き」という人はいますが、少数派だと思います。むしろ、私の個人的な感想ですが、「自分のことが嫌い」と思っている人の方が多いです。

ネガティブな感情を無理になくすことはできません。

感情や感覚は、エネルギーだからです。エネルギーの向かう先を変えたり、形が変化することはあっても消すことはできません。

それではどうしましょうか。

私の場合、そういう自分をただ観察します。たくさんの感情や思考が入り乱れて収集がつかない場合は文字に書き記すこともあります。筆記することで、少しはマシな文脈で考えることができます。

ダメだ、またやってしまった、最悪なやつだ。

そういう判断は後回しにします。私がしようとしているのは「あるひとりの人間の観察記録」です。

「私」の責任を問いません。あくまでも人間代表としての「ひとりの人間」の記録です。

自分のことを「彼」(あるいは「彼女」)と呼んでもいいかも知れませんね。

「そんなこと」を思考したり、行動したりしたのは、彼が人間だから。人間の性を背負っているから。

なんて人間って愚かなんだろう。自分が愚かなのではない。人間が愚かなのだ。

そういう人間を、優しさに満ちた微笑みを向けて観察し続けます。

そして、「バカだなあ」と笑えるようになればシメたものです。

その瞬間が「私」が消えたときだと思います。

 

 

 

診診連携(あるいは病診連携)について

 

私のようなクリニックの医者は、受診する患者さんの全ての訴えに対してできるだけ応えたいとは思っているものですが、診診連携(診療所と診療所の連携)や病診連携(病院と診療所の連携)のネットワークが構築されている近隣では、専門科のドクターに直接受診した方が良いと判断されることが少なくありません。

離島診療所のように医師が一人体制というのなら話は別ですが、ここでは地域にある医療機関が連携して医療ニーズを満たしていこうというシステムを取るからです。

例えば、私の場合、何か月も慢性的に消化器症状が続く初診の患者さんには消化器内科の受診をすすめますし、気分の沈み方が激しく不眠を訴える患者さんには心療内科への受診をすすめています。

なかには専門でないことを了承してもらったうえで、診療を継続することもありますが、それはあくまでも次善の策だと思っています。

「先生も内科でしょ?」と言われることもあり(実際、そう言われるのが辛いのですが)やはり専門科のドクターが診察し、診断し、治療方針を決定する方が患者さんの幸せにつながることが多いものです。

ご理解のほど、よろしくお願いいたします。

 

 

映画「インターステラー」

 

前に映画「メッセージ」を観た時に、「SF映画で観るべき映画」として「2001年宇宙の旅」や「コンタクト」などと一緒に推されていたのが、この「インターステラー」でした。

いつか観たいと思っていて、ふとした偶然でこの週末に観ることができました。

 

道具として使っている宇宙理論は、そのひとつひとつに慣れ親しんでいない私たちには難解ですが、テーマは「家族の絆」「人生という儚くも限られた時間」です。

 

「あらすじ」です。

近未来、地球規模の食糧難と環境変化によって人類の滅亡のカウントダウンが進んでいた。そんな状況で、あるミッションの遂行者に元エンジニアの男が大抜てきされる。そのミッションとは、宇宙で新たに発見された未開地へ旅立つというものだった。地球に残さねばならない家族と人類滅亡の回避、二つの間で葛藤する男。悩み抜いた果てに、彼は家族に帰還を約束し、前人未到の新天地を目指すことを決意して宇宙船へと乗り込む。(シネマトゥデイのサイトから)

 

あらすじを言ってしまえば確かにそうなのですが、繰り返しますがSF冒険活劇ではありません。

「ラザロ計画」というネーミングからもわかるように、キリスト教をモチーフにして人間の弱さと強さ、信頼とあるいは裏切り、そして愛について描かれています。

その愛は、親が子を思う家族愛、恋人との愛、そして人類愛についてそれぞれが描かれ、それらを包括していきます。

169分の長い映画でしたが、それでも「ラザロ計画」の半分しか描けなかったようです(笑)。

あとの半分はきっと成功するのだという確証のヒントを残して映画は終わります。

 

それにしても、宇宙を相手にするには、言い換えれば惑星間航行をするには、人間が生きる時間がなんて短いのでしょう。

人類が移住可能かどうかをある惑星により、確かめて帰ってきたら、23年があっという間に過ぎていたというシーンがあります。

選択を迫られる度に「時間がない」と議論をぶつける登場人物達の姿が印象的でした。

でも、そういう状況でなくても、本来は人間の生きる時間(人生)は儚いほど短いのでしょう。

 

いろいろ考えさせられる素晴らしい映画でした。

おススメです。

 

 

マンガ「大家さんと僕」

 

最近、いつもはあまり読まない短編マンガを読んでみました。

 大家さんと僕 矢部太郎著

 

今年2018年の第22回手塚治虫文化賞 短編賞の受賞作品です。

 

作者の矢部太郎さんはお笑いコンビ「カラテカ」の芸人さん。

いわゆる漫画エッセイなのですが、これが矢部さんの普通さと優しさがにじみ出ていて、ほのぼのとした雰囲気に癒やされてしまいました。

 

あまりこういうタイプのマンガを読まない娘にも勧めてみましたが

「いいね、このほのぼの感」

「全部よんだー いいねこれ」

とメッセージが返ってきました。

 

世代を超えて真面目に生きていくこと、人とつながって生きていくことは、私達のこれからの人生への励ましになります。

とても空気感の良いマンガでした。

人の温かさが素晴らしかったです。おすすめです。

 

2000日目

 

最近は、ほとんど医療関係の話題も取り上げないような、個人的な雑談ばかりの院長ブログです。
<(_ _)>

おそらくセンスのある人ならSNSでサラッと発信するような話題も、私の場合、それをブログにあげてしまいます(笑)。

(あまりに内容のない雑談が多すぎて、クリニックのスタッフもほとんど目を通さなくなってしまいました(笑))

 

ひとつだけ特徴をあげるとすれば、そんなブログでも毎日更新しています。

 

ブログを開始した時、ある願を掛けました。成就するまでは毎日更新しようと決めたのですが、お察しの通り、…願が成就していません。まだ続いています。

 

そのブログも、2012年12月31日にブログを開始して、実は今日で2000日目になります。

願掛けをしたと言っても、飽きっぽい性格なのでこんなに続くとは思っていなかったのですが、いつの間にか2000日(≒5年超え)です。

 

時が経つのは本当に早いですね。1日1日の積み重ねですが、今更ながらびっくりします。

 

こんなブログでも、このブログがきっかけでいろいろな方と知り合うことができました。

ひとつひとつのご縁は喜びにあふれていますし、感謝しかありません。改めて、ありがとうございます。

 

こんなブログですが、世間の片隅で少しずつ発信していきたいと思っています。これからもよろしくお願いいたします。

 

 

 

「風邪ひくなよ!」

 

考えてみれば、昔は「風邪ひくなよ!」と声をかけてくれる方がおりました。

毎週土曜日の夜の、子どもたちへの掛け声を聞くたびに、なんだか自分も会場の子ども達の仲間になれた気がしたものでした。

「みんな同じ」と漠然とした連帯感を持ったような気がします。

そして、そのなかでも「風邪ひくなよ!」は、相手を思いやる気持ちと励ましとかがごっちゃになっていて、温かく感じたものでした。

(今度会う日まで元気でね。風邪ひかないように、ね!)

やさしい言葉ですね。

 

「風呂入れよ」

「歯磨けよ」

「顔洗えよ」

「宿題やれよ」

「風邪ひくなよ」