開院6周年

 

11月5日はさくだ内科クリニックの開院記念日です。

2012年に開院しましたから、ちょうど6年になります。

 

あっという間な気もしますし、ひとつひとつのことが鮮明な出来事として思い起こされてきます。

 

今日、偶然に、私にとって思い出深く印象的な患者さんのご家族が、クリニックにご挨拶に来られました。

私たちに何ができただろうか。

もっと良い医療が提供できたのではないか。

もっと何か、という想いは、ずっとあります。

 

ご家族との面談は、改めて私たちの理念に立ち還る良い機会となりました。

 

わたし達の合い言葉(モットー)は 「いつでも どこでも その人らしく」

その前提になるのは「医療者である前にひとりの人間として」

 

まだまだ理想とするクリニックには程遠いですが、これからも1年1年を積み重ねていって「小さくても本物のクリニック」を目指していきたいと思います。

 

写真は、いつもお世話になっている方からいただいたお祝いのケーキです。

いつも感謝です。

 

 

 

第17回尚巴志ハーフマラソン

 

今日は第17回尚巴志ハーフマラソンに参加してきました。

 

私は初参加です。

会場で、知っている顔のドクターも何人かいらして、私が不安そうに見えたのでしょう。励まされてしまいました。

「実は昨日の夜に初めてコースを下見したんですよ。あの新里坂(シンザトビラ)を見てびっくりしました。」

「あはは。あそこはねえ。リラックス、リラックス。楽しんで!」

 

尚巴志ハーフマラソンの魅力(?)のひとつ。新里坂。急こう配の上り坂です。

 

 

救いなのは、コースの冒頭にあること。

心身ともに余力のあるうちにチャレンジできることです。

 

それを超えると、ニライカナイ橋を下りながら、絶景を堪能できるはず!

 

途中で「あわもり君」にツーショット写真をお願いしたり、沿道の皆さんの温かい声援と差し入れに感謝しながら、楽しく走ることができました。

(個人的には尚巴志ハーフマラソンで一番きつかったのは、終盤の直線コース、ヤシ並木通りでした!)

 

 

マラソンでなければ、風光明媚なとても素敵な通りなんですが(笑)。

「沖縄県透析フォーラム」

 

少し遅れてしまいましたが、11月1日(木)には沖縄県透析医会の共催で「沖縄県透析フォーラム」が開催されました。

今回は名護にある、たいようのクリニック院長 宮平健先生の

一般演題「当院におけるリン吸着薬の使用状況とリオナの使用経験」

の座長を務めさせていただきました。

宮平先生と私の関わりは、沖縄県立中部病院腎臓内科の同門。私の後輩になりますが、開業については私よりも先輩で、来年で10周年になるとのことでした。

北部地区で約80人近い透析患者さんを1人で診療している宮平先生には、いつも頭が下がる思いです。

患者さんに対して真摯で誠実であり、臨床についてもよく勉強されています。

特別講演は聖路加国際病院部長・腎センター長の中山昌明先生をお招きして

「透析患者のリン、鉄、ナトリウムを巡る話題」

についてお話いただきました。

透析患者さんの感染症リスクについて特に鉄剤の使い方に関しては、大変興味深く拝聴させていただきました。

自分なりにもっと深めていきたいトピックです。

この時期、研究会や勉強会が目白押しで、勉強になることが本当に多いです。

 

 

「如菩薩団―ピカレスク短篇集」

 

筒井康隆さんの面目躍如といった感じの短編集です。

どの短編にも悪逆非道の主人公たちが跋扈する世界が描かれています。

そこに「善き人」はいません。仮に「善き人」がいたとしても可哀想な被害者だったり、片隅に追いやられた見ることしか許されない者だったりします。

「ピカレスク」とは「悪者」や「悪漢」のこと。

おそらく、今の世の中でこういう世界が描けるのは筒井康隆さんしかいないんじゃないでしょうか。

どれも、マンガみたいな話で、呆れて笑ってしまうしかないのです。

けれども、多少誇張されているのは事実ですが、現実の投影でしかないことにやがて気づきます。

大してあなたも変わらないでしょ?と突きつけられている感じです。

こういう短編集をたまに読むのもストレス発散にいいかも知れませんね。

 如菩薩団―ピカレスク短篇集 筒井康隆著

映画「2010年」

 

多少、昨日のブログの続きです。

 

「2001年宇宙の旅」を観ると、50年前の映画にも関わらずに決して色褪せない「未来像」に驚愕します。

その中のひとつ。

今の世の中で普及しつつある対話型のAIが、HAL9000のようなタイプに酷似しているのは決して偶然ではないでしょう。

データを手入力でインプットするのではなく、自ら必要なデータを収集し、取捨選択し、そのうえで分析し、結論を導き出す。

そういう自律型のコンピューターでなければ、宇宙旅行に求められる人間との高度な共同作業はできないだろうという映画製作者達の想像力の賜物なのだと思います。

 

ところで「2001年宇宙の旅」では、HAL9000がなぜ人間に対して裏切り行為を行ったのかが明らかにされていません。

HALのその行為の理由がすっきり明らかにされているのが、2001年宇宙の旅の続編である「2010年」です。

2001年に比べて「わかりやすい」というだけで、もしかしたら評価が別れてしまった映画なのだと思います。

 

アーサー・C・クラークの原作では〈宇宙の旅〉シリーズとして

2001年宇宙の旅

2010年宇宙の旅

2061年宇宙の旅

3001年終局への旅

の4冊が刊行されていますから、行き当たりばったりの続編ではないことがわかります。

 

けれども、2001年に比べてセリフが圧倒的に多いために、観客の解釈はある程度限定されてしまいました。

2001年の時に味わった難解で崇高(そう)な芸術作品を鑑賞している気分は半減されてしまっています。

なんとなく、「がっかり」感が拭えません。

つまり、いい意味でも悪い意味でも「すっきり」しているのが、この映画です。

 

でも、夢見ることがあります。

このモノリスが、現実世界に本当に現れてほしいという夢です。

けれども、すぐに自問します。

もしこのモノリスが現実世界に現れたとして、この映画のように人類は考えを改めるだろうか?

起こっていることを「素晴らしいことだ」と感じる感受性を、今の人類は持っているだろうか?

信じたい気持ちもあるし、不安でもあります。

 

 

映画「2001年宇宙の旅」

 

映画公開から今年が50周年ということが大きいのでしょう。あちこちでこのタイトルを目にする機会が増えました。

「2001年宇宙の旅」

 

言わずと知れたSF映画の名作中の名作です。

それに合わせたネット配信もあって久しぶりに観る機会を得ました。

改めて観ても、とても50年前の映画とは思えないビジュアルの連続です。

 

この映画の公開は1968年。

地球の全球写真が公開されたのが、1968年のアポロ8号が撮影したものらしいです。

つまり、それまでは人工衛星からの観測のみだったわけです。

 

2001年宇宙の旅では、地球の姿が当然のように出てきます。

考えてみれば、太陽や月、他の惑星は天体望遠鏡を使って画像が撮れますが、地球の画像だけは想像力の賜物だったわけですね。

やや白っぽく見えるのはその影響なのでしょう。

CGなど存在しない時代に、なんという想像力と撮影技術だったのかと感心します。

 

そして、随所に度肝を抜く映画表現。

一切の説明を省いて、すべての解釈を観客に投げかけてしまう前衛芸術家なみの覚悟。

 

「スターチャイルド」という言葉が独り歩きした感じもないではありませんが、やはり名作であることに変わりはありません。

何度も繰り返し観たくなる映画のひとつです。

 

 

イヤーワーム

 

今日の夕方に、ふとした弾みで口からメロディーが漏れ出てきました。

「おいら~ロボット~、ロボットだけど~」

そのまま歌うに任せていたら、とうとう最後まで歌いきってしまいました。

 

「がんばれ !! ロボコン!」の歌です。

ロボコンのメイン・シナリオライターはウルトラマンやウルトラセブン、ゴレンジャーでも活躍した沖縄出身の上原正三さん。(金城哲夫さんの盟友です。)

「スポ根」ならぬ「ロボ根」だけが取り柄のドジ・ロボットのロボコン。

ガンツ先生にいつも「0点」の採点をもらってしまう可愛そうなロボットです。

 

なぜ今ごろこの歌が口から漏れ出てきたのでしょう?

がんばれ!ってことなのかな?

 

 

 

朝ラン

 

日陰に入ると、風が冷たく感じます。羽織るものがないと寒いほどです。

朝、起床頃には、掛布が十分の暑さであると安心しきって、寝過ごしそうになって慌てます。

 

出勤時に車で新都心公園のそばを通るのですが、何人かのランナー達が淡々と朝ランをしていました。

一頃に比べても、その数は多い気がします。

今週末には尚巴志ハーフマラソンがあり、約1ヶ月後にはNAHAマラソンがあります。

それに向けてトレーニングをする方たちなのでしょう。

 

それにしても、朝ランができる方はエラいなあと感心します。

夏ならともかく、今の季節はまず気持ちが負けます。

寝ぼけ頭でぼーっとしている時には、やらない言い訳がとても上手なのです。

しかも、自分のことは自分が熟知していますから、急所を突いてきます。アクマの誘惑というヤツです。説得力ウンヌンのレベルではありません。

夏には寝床からすぐに飛び出せるようにランニングの格好をして寝たこともあったのですが、同じことをしても最近はダメです。ギリギリまで寝床の中にいます。

 

なので、朝ランをしているランナーを見ると、私にとってそれだけで尊敬の対象なのです。

自分のことを差し置いて

「頑張れ!」

と応援したくなります。

 

 

へとへと

 

今日は1か月後に迫ったNAHAマラソンに向けて「30Km走」にチャレンジする日だと決めていました。

いつものように浦添運動公園(最近、『ANA SPORTS PARK 浦添』に名称が変わったのですね)を集合場所にしていたのですが、駐車場に入ろうとすると担当の方に制止されてしまいました。

あたりを見回すと、幟(のぼり)やらテントがずらっと並んでいます。

(そうだった!今日はてだこ祭りだった!)

 

急きょメンバーに連絡をとってクリニックに戻り、そこをスタート地点にしました。

走り始めると、足が軽いのです。

2週間前の東京出張で足を痛めて以来のランニングでしたが、自分でも意外なほど順調でした。

「いつもは一人で走っているから、やっぱり仲間と走ると嬉しいんだはずね。ペースが速くなってしまうね!」

オーバーペースになるのをできるだけ抑えながら、快調に走っていました。

 

それにしても、ランニングするのに気持ちの良い季節になったものだと思います。

日差しは強いものの、風が涼しく、じと~っとした気持ちの悪さがありません。

58号線を北上し、美浜を超えたところでUターンしました。

 

 

そこですでに18Kmになっていましたから、来た道を戻るだけでも30Kmを超えるのですが、快調だったので、こんな問いかけをしてしまいました。

「このまま戻る?それとも、上がる?」

「上がりましょうか。ゆっくりでも足を止めないようにして。」

そうだね~ということで、途中から瑞慶覧の方に左折しました。

 

実は、その後が上り坂のオンパレードだったのです。

 

「足が止まる」というのは、一流の方たち特有の高レベルのお話なのだと思っていたのですが、まさに「足が止まった」ようになってしまいました。

2週間安静にしていた影響なのか、脚力のスタミナがピタッと切れてしまったのです。

 

そのあとは、ほとんど自分との対話です。

「足が重い、お、も、い。」

「こんな走り方より大股歩きの方が絶対速いはずな~。」

「こんな坂、あんな坂」

「姿勢を正しくして、腕ふりをしたら、まだ走れるじゃん!」

「あと4Km~!長いな~」

「そうだ、笑顔だ。笑顔パワーじゃ。」

「ここで止まったら、今までの距離が無駄になる!」

「何も考えないようにしよう!無我じゃ!」

 

30Kmに到達した時は、メンバーと何度も握手しながら充実感と達成感にたっぷりと浸っていました。

30Km走は、10Kmや20Km走とは違った感覚、境地になりますね。

 

今日はゆっくり眠れそうです(笑)。

 

 

運気

 

占いや迷信を毛嫌いする人もいますが、妖怪やUMAなどと同様に私は人間の想像力について畏敬の念とともに感心しますし、どちらかと言うと楽しくお付き合いする方です。

ただし、その占いで、12年に1度の悪運だとか、1年で最も悪い月だとか言われた日には、心中穏やかでいるわけにはいきません。

と、普通ならそういう反応がマトモなのでしょうが、実はそう悪い気分になっているわけでもないことに気づいています。

以前にもお話しましたが、厄年と同じで、考えようによっては「運が悪い」と言われている時期は生きやすいのです。

「悪いこと」が起きてしまっても、とても気が楽です。

なぜなら、その「悪いこと」は、私のせいではなく、運が悪いから起きたことだから。

人はどうしても、因果関係に理由を求めてしまうものです。

何か悪いことが起きてしまった時には「何で私の身に?」「何が悪かったのだろう?」とふと思ってしまうものです。

運が悪いのだと占いで出ている時は、その問いかけにも即解できます。

「なぜなら、私の運気が最悪だから。」

「私が悪いのではないのだ。運が悪い。」

これは、昔からの生きていくための生活の知恵なのだとつくづく思います。

おみくじになぜ「末吉」や「凶」があるのか。

今が最低、あとは上がるだけというメッセージにどれだけの人が励まされることでしょう。

逆に最高の運気と言われた時の方が、実はビビってしまいそうです。

…ということで。

私は今年、そして今月が、最低・最悪の運気らしいです(笑)。