古典落語に「子ほめ」というお話があります。
赤ちゃんの褒め方を指南するお話で、こんな具合です。
「さて、これがあんさんのお子さんでございますか。どおりで目元から鼻筋にかけてはお父さん、口元からあごのあたりにかけてはお母さんそっくり、額の広い所なんかは亡くなったお爺さんに似て長命の相がございます。」
要するに、顔の各パーツが家族に似ていると言えば喜ばれるというものなのですが、「似ているうえにかわいい」というニュアンスが伝わると、ただでさえ赤ちゃんにデレデレしている大人たちを参らせてしまうのは確実です。
Wikipediaにあらすじが載っていましたので、紹介しますね。(上方版の方です)
タダ酒が飲めるとの噂を聞きつけ、訪ねて来たアホの男。
真相は「タダの酒」ではなく「灘の酒」の聞き間違いであったが、人を褒めてタダ酒を飲む方法を教わる。その方法とは、相手に年齢を尋ね、年配の者には若く見える、年若の者にはしっかりして見える、とおだてて酒や肴を奢ってもらい、赤ん坊の場合は、顔をよく見て人相を褒め、親を喜ばせてご馳走になるというもの。
それではと通りに飛び出すと、伊勢屋の番頭に遭遇する。しかしいざ声をかけようとすると、「町内の色男」と逆に褒められ、ご馳走をさせられそうになる。
そこで、近所にある、子供ができたばかりの竹の家を訪ねる。
赤ん坊を褒める魂胆であるが、間違って奥の間で昼寝している爺さんを褒める。
改めて赤ん坊に臨むが、顔を見ては猿のようだと言い、無理やり挨拶を教えようとしたり、お腹を押してみたり。そのうち、もみじのような手だと初めて褒めたものの、やはり(その手で)祝い金をよく取ったと言ってしまい、あきれられる。
仕方がないので、教えてもらったとおり人相について褒めようとするが、これもなかなかうまくいかない。最後の手段で年を尋ねると、竹が「そんな赤ん坊に年を尋ねるもんがあるかい、今朝生まれたとこや」と言うので、
「今朝とはお若う見える、どうみてもあさってくらいや」
うまくいかないのは落語の常ですが、「お世辞が使えるようになったら一人前」と言われるように(タダ酒にありつこうとする魂胆は別にして)人間関係の潤滑油として、相手をほめようとするお話には説得力があります。
あえて教訓にしなくても良いのですが、落語の登場人物になりきった方が、きっと生きやすい時もありますね。