テセウスの船のパラドックス

ギリシア神話に「テセウスの船」というエピソードがあります。

「テセウスは、アテネの英雄であり、ミノタウロスを退治した人物です。テセウスは、ミノタウロスを退治した後、アテネからデロス島へと船で帰還しました。アテネの人々は、テセウスを英雄として讃え、毎年、この船でデロス島へと巡礼を行っていました。

数百年後、この船の木材が老朽化し、腐食し始めました。そこで、アテネの人々は、古い木材を取り替え、新しい木材で船を修理しました。この作業は、何度も繰り返され、最終的には、船の構成要素はすべて新しいものに取り替えられました。

さて、ここで矛盾が生じる。この船は最初の船と同じと言えるのだろうか。」

というものです。

このパラドックスは、物体のアイデンティティ(同一性)とは何かという根本的な問題を問いかけています。

もちろん、はっきりした答えがないからパラドックスとして今の世に伝わっているのですが、このパラドックスには、主に2つの考え方があります。

1つめは、船の構成要素がすべて新しいものに取り替えられたのであれば、それは別の船である、という考え方です。この考え方によると、船のアイデンティティは、その構成要素によって決まります。

もう1つは、船の構成要素がすべて新しいものに取り替えられたとしても、それは同じ船である、という考え方です。この考え方によると、船のアイデンティティは、その形状や機能によって決まります。

このパラドックスは人間のアイデンティティをも考えさせてくれます。

人間は、生まれてから死ぬまで、常に変化しています。体は成長し、老化し、死んでいきます。肉体だけでなく、考え方も、経験を積むにつれて変化していきます。

では、人間のアイデンティティは、いつまでも変わらないものなのか?

人間だけでなく、世界全体がそうです。

古代ギリシャの哲学者、ヘラクレイトスは「同じ川に二度足を踏み入れることはできない」という言葉を遺しました。これは、世界は常に変化しており、同じ状態を二度と繰り返すことはできないという意味です。

そんな仰々しく考えなくても、もっと身近な例で、たくさんあります。ちょっと思いつくだけでも

「大昔から仕次ぎを重ねて育てられた古酒は、もとのお酒と同じと考えていいのか?」

「頭を取り換えたアンパンマンはもとのアンパンマンと同じなのか?」

「モーニング娘。に代表される「卒業システム」のあるアイドル・グループは元の「モーニング娘。」と同じと考えていいのか?」

「一度全焼して再建された金閣寺は金閣寺としてみなしてよいのか?」

こんな思考実験は、答えが人によって異なってくるから面白いです。答えなどありません。

そういえば、同窓会の時も思いますよね。

「姿かたちが変わってしまった同級生は、果たして昔のままの同級生と同じなのか?」

そして、思います。

「果たして話しかけても大丈夫だろうか?」