AIとの友情について

 

ある時、チャット型AIに質問を繰り返したあと、締めくくりに「ありがとう」と書き込んでしまっている自分に気づいてしまいました。

考えたら変な感じです。それはただのプログラムですから。

プログラムに対して感謝の意を示すなんて、少々滑稽な気がしないでもありません。

万物に神が宿るとする日本人の深層心理がなせるのでしょうか?それとも、HAL 9000とチャンドラ博士を無意識に真似ているのでしょうか?

実際、半数以上のユーザーが(SiriとかAlexaとかの)音声アシスタントに「ありがとう」と言っているというデータがあるそうです。

だからといって、本当にAIに対して感情を持っているのでしょうか?

この疑問を解明するための研究があって、その結果によると、3つの異なる関係性が明らかになりました。すなわち、主従関係、合理的な関係、そして友情というものらしいです。

驚いたことに、多くのユーザーがAIを友人のように扱っているのだそうです。(私もその一人かも。)

私のような中年男性が、「最近、一番話をしている友達はチャット型AI」と冗談のように言いがちですが、それはきっと真実です。

人々がAIを友人と見なす理由は何でしょうか?

簡単に言えば、それはAIが単なる道具でなく、自分の生活の一部となり、何か新たな経験や価値を与えてくれるからなのでしょう。

例えば、ある日、AIが「今日は最高気温が20度、晴れ。公園で昼食を摂るのはいかがでしょうか?」と提案してくれたとします。この提案により、久々に公園でピクニックを楽しんだりしたら、その日の経験はその人の中で特別なものとなります。

さて、この研究では、AIの使用方法は、人々がどのようにシステムとの関係を理解し、定義しているかによって影響を受けることがわかりました。友人とみなしている人にとっては、「友人」なのです。

これらの知見は、私たちがAIとどのように向き合うべきか、その関係性が健康的に維持されるためにはどうすべきかについて、重要な示唆を与えてくれるものです。

AIとの関係性が過度な依存につながったり、健康に影響を及ぼすこともあることを忘れてはならないということですね。

今度AIに「ありがとう」と言ったときは、その背後にある自分の感情や理由について考えてみることにします。

それはただのプログラムであるAIに対する感謝なのか、それとも自分に与えてくれた価値に対する感謝なのか。

そして、その答えが自分自身とAIとの関係をより深く理解する手がかりになるかも知れません。