怒りは不安の鎧

 

加藤諦三氏の著書に触れると、心理学者ロロ・メイの名前をよく目にします。特に、よく引用されている「不安の人間学」(ロロ・メイ著)を読んでみたいと思ってネットで調べると、発刊が1963年というので、まず驚きました。

当時から、彼の洞察は人間の心の深層を解明し、内なる葛藤を明確にする手助けをしてくれていたということです。彼は次のように述べています。

「ある型の不安が攻撃感情の土台をなしていることはしばしば発見されることである」

思い出してみると確かにそうです。例えば、最後に本当に怒った瞬間。

その時、心の中には不安が渦巻いていたのではないでしょうか?不安がなければ、その怒りはただの風が吹くようなことで、あっという間に過ぎ去っていたかもしれません。

怒りは、不安の鎧とも言えるものです。それは、我々が不安に対して抱く自己防衛の一形態ということです。傷つきやすい人々がしばしば怒りっぽいと言われるのは、このためです。彼らの怒りは、実は彼ら自身の不安を隠すための煙幕です。彼らの心の中には、未知への恐怖、失敗への恐怖、失望されることへの恐怖、これら全てが絡み合っています。怒りが一時的な避難所となり、それらから一時的に逃れるためのシェルターを提供します。

しかし、この逃避は長続きすることはありません。怒りの炎が燃え尽きた後、未解決の不安が再び顔を出し、さらなる怒りの燃料となります。これは永遠に続く負のスパイラルに見えるかもしれませんが、ロロ・メイが私たちに教えてくれるのは、このパターンを認識し、怒りを通じて不安を見つけ出すことで、私たちは自己理解と成長への道を開くことができるということです。怒りを感じたとき、それを自己反省の瞬間と捉え、自分の内なる不安を探求する勇気を持つことが求められます。

結局のところ、不安は我々の人間性の一部であり、それを理解し、受け入れることで、我々はより強く、より寛大な存在へと成長することができます。これがロロ・メイが教えてくれる「不安の人間学」の真髄です。