芥川龍之介「鼻」

 

 

「ありのまま」を応援する歌もあるぐらいですから、「ありのまま」の自分を出すことは難しいですし、何よりその自分に満足することも難しいです。

芥川龍之介の「鼻」は、まさしくそんな人間の心理を見事に描き出した作品です。

青空文庫で読むことができます。こちら → 「芥川龍之介 鼻」

あらすじを書いてみます。

 

この小説の主人公は禅智内供(ぜんちないぐ)という僧侶で、彼の鼻といえば知らぬ者はいないほどでした。彼の鼻は五、六寸あって、上唇の上から顎の下までぶらさがっています。

内供は、日々この長い鼻に悩まされ、周囲に嘲笑されては自尊心を傷つけられていました。彼は、自分と同じような鼻を持つ人物を探そうとし、また長い鼻を短くする方法を試みましたが、どれも成功しません。

ある日、弟子の僧が知り合いの医者から鼻を短くする方法を教わり、内供はその方法を試します。湯で鼻を茹で、その鼻を踏んでもらうという簡単な方法でしたが、鼻は嘘のように短くなりました。

鼻が短くなった内供は当初満足していましたが、寺を訪れた侍たちが前よりもおかしそうな顔で鼻を見ることに気づきました。彼はこれを自分のせいだと考え、機嫌が悪くなりました。ある夜、鼻が痒く感じ、翌朝には元の長い鼻に戻っていました。同時に心も晴れやかになり、「これで誰も笑わないだろう」と考えるのでした。

 

芥川龍之介の「鼻」は、外見や他人の評価に囚われることの無意味さや、自己受容の重要性を描いた小説です。

主人公の内供は、鼻の長さに悩んでおり、それが短くなったときには一時的に満足します。しかし、他人の視線によって再び不快感を抱くようになり、最終的に元の長い鼻に戻ると、同じような安堵感を得ます。

この小説には、こんな一節があります。

「人間の心には互に矛盾した二つの感情がある。勿論、誰でも他人の不幸に同情しない者はない。ところがその人がその不幸を、どうにかして切り抜ける事が出来ると、今度はこっちで何となく物足りないような心もちがする。少し誇張して云えば、もう一度その人を、同じ不幸に陥れてみたいような気にさえなる。そうして何時の間にか、消極的ではあるが、ある敵意をその人に対して抱くような事になる」

この物語は、他人の思惑や評価に左右されることで引き起こされる人間の悲劇を描いています。

自分自身を受け入れることの難しさや、他人の期待に応えようとするが故の葛藤が、主人公の内供を通して表現されています。

内供のことは他人事ではない、自分自身のことだと思います。