ChatGPTやNotion AIなど、最近のAIの進歩には目覚ましいものがあって、なかなか話題についていくこともできません。
この分野の飛躍的な進歩については、いろいろと仮説があったりしますが、いよいよシンギュラリティが始まったのかという気持ちにもなっています。
これらに漠然としつつも空恐ろしさや不安を感じてしまうのは、これらの技術革新が正真正銘の新しい文明の出現だからなのでしょう。
「質問をしたら人間のように自然に返してくれる」のうちは、へえという感心はしましたが、(そういうアルゴリズムなんだろうな)ぐらいの感覚でした。
それが、「愚痴をこぼしても共感や寄り添いの言葉で励ましてくれる」というお話を聞いたぐらいから(ん?)になり、「ChatGPTに友だちと仲直りするためにどうしたらいいか聞いてみた」とか「今日、何をしたらいいかアドバイスしてもらった」とかの活用例を聞くと、(ちょっとこれ大丈夫か?)という気持ちになってしまいました。
ChatGPTを勉強や学校教育にどう活用するかという話もありますが、そもそも既存の教育がこれからも必要なのかというレベルの技術革新です。
遠い昔、人類は文字を発明し、言葉を記録できるようになりました。やがて活版印刷が発明されて書物が流通した時代には、知識が広く共有されるようになりました。人類だけが読書をし、先人の知識を理解し、蓄えていったのでした。それが、今や人間の能力以上のスピードと容量でコンピューターが文字を読み取り理解し分析しています。
ChatGPTやNotion AIの出現は、コミュニケーションという分野においてもコンピューターが人間を上回る時代になりつつあるということなのだと思います。
これから先、必ず人間の機能を凌駕するであろうAI技術を前に、改めて「人間性とは何か」「我々人間の存在意義は何か」を自問しつづけていく時代になってきそうです。
これから、あらゆる分野で「哲学」が論じられていくのでしょう。
フランケンシュタイン症候群(人間がロボットや人造人間、AI技術などに憧れを抱く反面、それらに人間が支配されてしまうことを恐れる、複雑な感情のこと)に安易に陥らないためにも、「人間中心」の視座は忘れないでいたいです。