川端康成の名言を検索すると、必ず出てくるのが次の言葉です。
「一生の間に一人の人間でも幸福にすることが出来れば自分の幸福なのだ。」
エッセイならば個人の見解を述べたものでしょうが、この言葉の出典は小説です。
数々の名作を生み出したノーベル文学賞受賞作家ですから、「雪国」やら「伊豆の踊子」などのほんの一節なのだろうと思っていましたが、出典は「一人の幸福」という短編小説なのだそうです。
この作品は「掌の小説」の一編で、「掌の小説」は川端康成が20代の頃から40年余りにわたって書き続けてきた掌編小説を収録した作品集です。総数は128編ほどらしいのですが、この新潮文庫版には122編が収められています。
「一人の幸福」を改めて読んでみました。あらすじはこうです。
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姉の勝子の元に弟から手紙が届きます。そこには満州での凄惨な暮らしが書き綴られていました。
かつて勝子も弟以上の凄惨な経験をしており、そこから命懸けで逃げ出した過去がありました。
現在、彼女は一人の病み上がりの男の面倒を見ていました。恋心を抱く二人でしたが「彼」には妻があり、お互いに決して成就しない仲であるとわかっていました。
彼は弟の手紙を読み、勝子の弟が不幸な境遇であることを知ります。
そして、その弟を自分の力で救ってあげようと思い立ちます。この思いつきは彼を幸せな気持ちにしました。
それまで勝子に対する思いに悶々とし、悩み、思いつめていたけれど、急に迷いが晴れたようになります。
そして、彼は思います。一生のうちに一人でも幸福にできれば、それが自分の幸福なのだと。
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正直、「思ってたのと違う!」でした(笑)。
幸福については人それぞれの思いがあっても良いのでしょうが、無責任な男が自ら思いついたアイディアに、自己満足の末に語った言葉のように思えます。
病身な「彼」に、そこまでの実行力があるとは思えません。小説では、そんな雰囲気も漂わせています。
ただ、そんなダメ男にも救いがあるように思います。自らの幸福を求めているわけではないからです。
「一生に一人でもいい」から他人の幸福が自分の幸福ですから、迷いが晴れたというのは本当のことだったのでしょう。
川端康成の「掌の小説」は短い小説がたくさん詰まっていて、一つひとつ興味深く読ませてもらいました。