「天長地久」

 

 

学生時代に「老子」は字面(じづら)で損をしていると思いました。「老」の字が入っているせいで、なんとなく高齢者向けっぽいと色眼鏡で見ていた気がします。

けれども、老子についてよく耳にするのは、混沌とした社会を生き抜くための処世術の書として活用している方が多いということでした。

なかなかそこまで読み込んでいる訳ではないのですが、「名言」に触れると(私は特に単純ですから)エネルギーがもらえます。

その時だけ良い気分になったってダメじゃないかと叱責を受けたとしても、いいのです。なにしろ、ずっとそれを繰り返してきた人生でしたから、

自分の好きな言葉や励まされる言葉、勉強になったと思う言葉を集めて、自分の身の回りに並べておくと良いです。

いつかその言葉たちが、自分を助けてくれるものだと信じています。

さて「老子」のことでした。

例えば、次の言葉に「なるほど」と思いました。

第七章に「天長地久」という有名な四字から始まる一節があります。

 

天長地久、天地所以能長且久者、以其不自生、故能長生、是以聖人、後其身而身先、外其身而身存、非以其無私耶、故能成其私。

 

(書き下し文)

天は長く地は久し。天地の能く長く且つ久しき所以の者は、其の自ら生ぜざるを以てなり。故に能く長生す。是を以て聖人は、其の身を後にして而も身は先んず。其の身を外にして而も身は存す。其の私無きを以てに非ずや、故に能く其の私を成す。

 

(意訳)

天地は永遠である。その理由は、自分のために生きようとしないからである。だから、永遠の生命を与えられる。聖人も同様である。その身を後回しにすることで前方におり、その身を外に置くことでそこにある。 自分を捨ててかかるので、かえって自分を生かすことができる。

 

「その身を後回しにする」と「先に立たない」は意味は同じでも、ニュアンスが違います。

自然界は常に変化しているようで、実は悠久である。自然界の姿に生き方を学ぼうとする姿勢は、昔の中国哲学の基本なのでしょう。

なかなか道を極めた聖人には及ぶものではありません。