三つの「初心」

 

 

 

「初心忘るべからず」という言葉は有名過ぎるほど有名ですが、最初に説いたのはご存知の通り、能の世阿弥です。

その著書「花鏡」の終盤にある「奥の段」に、この言葉が出てきます。

 

初心不可忘、時々初心不可忘、老後初心不可忘、此三句、能々可為口伝(初心忘るべからず、時々の初心忘るべからず、老後の初心忘るべからず、此の三句、よくよく口伝とすべし)。

 

(口語訳)

さて、当流に、万能一徳の金言がある。それは、「初心忘るべからず」という金言である。これには三ヶ条の口伝がある。それは、「是非とも初心は忘るべからず」。「時々の初心を忘るべからず」。「老後の初心を忘るべからず」である。この三句、よくよく口伝すべきものである。

 

つまり、「初心忘るべからず」には三つの初心があり、それぞれ「是非」「時々」「老後」の初心があるということです。

それぞれを紙面を割いて説明していますが、前の2つの初心を簡単にまとめると以下のようになります。

是非の初心:成功と失敗を繰り返した若い頃の経験や、そのときの未熟だった自分のレベルを忘れてはならないという意味です。

時々の初心:人生の節目節目、各時期における初心があります。その年齢にふさわしい芸とは、その段階では初心者であり、未熟さがあります。その一つひとつを忘れてはならないということです。

老後の初心については、口語訳をそのまま紹介しますね。

 

「老後の初心を忘るべからず」という口伝について説こう。先ず人間の生命には終局があるが、能に於ては終局というものは絶対に無い。即ち、どこまでも進歩し深まって尽くる所なきものは能である。若年時代から、その年齢々々に相応した能を、一体一体と習いつづけて、又老後に到って、老後の年齢に似合わしい風を習うということが、「老後の初心」なのである。「老後の初心」であるから、従来習いおさめた所の能(従未の時々の初心のすべてを含んだもの)を以て、現時の心(是非弁別の戒心)とするのである。『花伝書』にも、「五十歳以上の年齢からは、せぬ以外には方法がない」と言っている。即ち芸能を控え目にして、少な少なとして、伎にわたる芸は殆んどせず、心力と音曲のみで演じてゆく他には、手立はないといわれるほどの重大事を、老後に到って始めてやるといということは、これこそ「老後の初心」でなくて何であろう。

 以上述べたような次第で、若し自己の一生涯を通じて、常に初心ということを忘れる事なくしてやってゆけば、芸はただただ向上進歩するのみで、その最上の位を、最も華々しい最後として命を終るわけであるから、決して能が退歩するなどという事はない。

 

老後も初心を忘れない。それが老年期の良さを発揮するコツなのだと説うています。

この3つの初心を忘れずに生きたいものです。

 

是非とも初心は忘るべからず

時々の初心を忘るべからず

老後の初心を忘るべからず