「どうしようもないわたし」

 

そんなに明るくない私でも、自由律俳句の大家と言えば2人の名前は出せます。国語の授業で習った「咳をしても一人」の尾崎放哉と、行乞行脚で各地を遍歴し放浪日記を残した種田山頭火です。

本当にしてはまずいけれども「放浪」に憧れます。具体的にやる計画も算段もないけれども「放浪してみてえ」と一人の時つぶやいたこともあります。

放浪というのは、一人でするものです。さみしさを実感する時間が続くわけです。

けれども、自分以外には何もないわけですから、濃密な自分時間を過ごすことになります。必然的に自分と対話し、深く掘り下げていくことになります。

 

まっすぐな道でさみしい

 

分け入っても分け入っても青い山

 

私の放浪のイメージは、これらの句からきているようです。どこまで歩いても、前や後ろに人影はなし。知らない土地をひたすら歩きながら、いつまで続くかわからない孤独感に包まれます。

 

どうしようもないわたしが歩いてゐる

 

そんな時「どうしようもないわたし」と自覚した時に、初めて訪れる境地というものがある気がします。孤独だけれども豊かさに満ちた境地です。

少し自嘲気味に笑みを浮かべてこの句を口に出しながら、格好つけて歩いてみたいです。(何なら単なるウォーキングの時にでも 笑)

高倉健さんの「自分、不器用ですから」に重なるイメージです。