「余白」

 

昔は一般的に白か黒か、有りか無しかの判断をしたがっていたように思います。

ところが最近は世の中全体が、白と黒の間にはグレーがある。しかもそのグレーには薄いのや濃いのとが混じってグラデーションがかかっているという認識を持つようになってきました。

子どもが見ているマンガやアニメだって、ヴィランがなぜそうなってしまったのかの深掘りシーンが必ず入ってきますし、キャラの多面性を描かなければファンは見向きもしません。

同時に、ストーリーとしても勧善懲悪のドラマは毛嫌いされ、正義を振りかざすことの危うさもかなり浸透してきています。

ところが、社会全体が多様性を認めようとしている流れの中にあっても、個人のレベルではまだ「全か無か思考(二分割思考)」で固まってしまっている人が多い気がします。

例えば、「晴れた日は好き、雨の日は嫌い」という気持ち。「笑っている人は好き、怒っている人は嫌い」でもいいです。どちらも「好き嫌い」の2つの側面で切り離して考えてしまっています。

ネイティブアメリカンにこんな言葉があります。「自然を愛することは、晴れの日も曇りの日も嵐の日も愛するということだ」

全か無かではなく、曖昧さを受け入れると結構生きやすくなります。

成功に反省点があり、失敗にも学ぶべき点があるというやつです。

選択肢はないと思っているところに、実はまだ残っているんですよね。

それを「余白」と呼ぶ人もいます。