「今でしょ!」

 

「正法眼蔵随聞記」の中にこんな一節があります。

 

示ニ云ク、仏々祖々、皆本は凡夫なり。凡夫の時は必ず悪業もあり、悪心もあり。
鈍もあり、痴もあり。然レども皆改めて知識に従ひ、教行に依りしかば、皆仏祖と成りしなり。

今の人も然るべし。我が身おろかなれば、鈍なればと卑下する事なかれ。今生に発心せずんば何(いづれ)の時をか待ツべき。好むには必ず得べきなり。

 

(口語訳)

垂示して言われた。どの仏もどの祖師も、皆もとは凡夫であった。そして凡夫の時には必ず悪い行ないもあり、悪い心もあった。鈍くもあり、馬鹿でもあった。しかし皆それを改めて、指導者に従い、仏の教えと仏の行ないとによって修行したので、みな仏となり祖となったのである。現今の人もそうでなくてはならない。自分は馬鹿だから、鈍いからといって卑下してはならない。この世で発心しなければ、どんな時を待って発心することがあろう。他に心を移さず行じていると、必ず道を得ることができるのである。

 

「正法眼蔵随聞記」はご存知の通り、道元の言葉を弟子である懐奘が著したものです。

この書物は「示ニ云ク」の言葉が至るところの文頭にあって、論語の「子曰く」のようなものです。道元がその場にいる弟子たちに教えを説いている様子が浮かぶようです。

 

その内容は、というと

「『どうせ自分は』なんてあきらめちゃダメだ!」

「誰でも最初はゼロから、いやマイナスからのスタート」

「今やらなきゃいつやるの?今でしょ!」

 

「今の人も然るべし」の「今」は道元の時代ではなくて、まさしく令和の現代の人に諭しているかのようです。

もっと言えば、人という生き物の本質は、時代が流れても変わっていないということなのでしょうね。