「誰か」「何か」

 

「夜と霧」の作者ビクトール・フランクルは、こんな言葉をのこしています。

 

ブーメランは的を外したときにだけ、それを投げた猟師のところに戻ってくる。同様に人間も、自分の使命、なすべきことを見失ったときにだけ、つまり、意味の探求が挫折したときにだけ自分に戻り、自分について考えはじめ、自己実現を目指すようになる。

 

こうも言っています。「絶望した時にこそ、人は、人生の意味を求めはじめる」

フランクル自身が強制収容所という過酷な状況で生きのびてきた経験がありますから、自分の未来に希望を抱くことができるか否か、文字通り身を切るような問題であったことでしょう。

人生の意味とは、絶望の中で見つけた希望となります。

それは、「何か」があなたを待っている。「誰か」があなたを待っている。

私たちは「何か」や「誰か」に待たれている存在であるということ。

これは一切の例外もなく、あらゆる全ての人に言えるのだと言っています。

そして、ここからが大事な視点なのですが、彼は私たちが人生に意味はあるのかと問うことはできないと言っています。「人生を問う」ことではなくて、「人生から問われていること」に全力で応えていくことが必要なのだと言っています。

「あなたのことを必要としている誰か、あなたのことを必要としている何かが、この世界にはあるはず。」

「その誰かや何かのために、あなたができることは何でしょう。」

「人生の意味」と言ったら仰々しくて具体的なイメージが湧きませんが、「誰か」「何か」なら思い浮かぶものがありそうです。