カフカ「さびしさが足りない」

 

 

気づかないうちに先入観というか固定観念にとらわれてしまいがちです。とらわれていることさえも本人は気づいてないということもあります。

時々、この本を読み返しているのは、そうした自分の思い込みに気づかせてくれて、狭い了見の共感を疑わせてくれるからです。

例えば、こんな一節。

 

ずいぶん遠くまで歩きました。

五時間ほど、ひとりで。

それでも孤独さが足りない。

まったく人通りのない谷間ですが、

それでもさびしさが足りない。

 

私も、できるだけ静かにしたい時は人に会うのを避けます。

ケガをしたら安静療養するのと同じで、心に傷を負ったら、できるだけ静かに過ごそうと考えます。

その時に有効なのは誰にも会わずに頭から布団をすっぽりかぶって寝ることです。

悲しい曲を流すのも、その底へ沈み込むのも、心がやすまるからです。

さびしさを募らせる演出は、自分を救うために実は誰でもやっていることです。

自分のことだけでなく、落ち込んだ友人を「ひとりにしておいてあげた方がよい」と判断したこともあるでしょう。

けれども、カフカの「さびしさが足りない」とは!

どれだけの苦悩を背負っての言葉でしょう。

解説の最後の文が心に留まりました。

「あきらかに他人の助けが必要な人が、それでもかたくなにひとりでいたがる。」

カフカの「孤独さが足りない、さびしさが足りない」という訴えは、自らの心の回復をはかったものだと信じたいです。