毎日毎時間の連続

 

私たちは今の時間をさしおいて将来に目を向けすぎるきらいがあります。

将来を思うあまり、今の状態の喜びや充実感を延期する傾向です。

まるで何かが実現すれば、その時に初めて人生の意味が得られるとでも思っているかのようです。

問題ばかりでなく、現実との接点も先延ばしにしているようなものです。

自覚はなかったものの、昔、子ども達に「将来のために勉強しなさい」と日課のように言っていたのは、そういう先延ばしの心理を刷り込んでいたのかも知れません。

もっと「今ここに生きる」と思って良かったんじゃないかと、今ごろ思います。

D・カーネギーの「道は開ける」に似たような一節があります。

 

「(略)小さな子供は『もっと大きくなったら』と口にする。だが、どうしたことだ。大きくなった子供は、『大人になったら』と言うではないか。そして、大人になると、『結婚したら』と言う。けれども、結婚したらいったいどうなるか? 考えがころりと変わって、『退職したら』とくる。やがて退職が現実のものとなると、自分の過ぎし日の光景を思い浮かべる。そこには木枯らしが吹きすさんでいるようだ。どういうわけか、すべてを取り逃がしてしまった。もはや過ぎ去ってしまったのだ。そして遅ればせながら、我々は学ぶ。人生とは、生きることの中、つまり毎日毎時間の連続の中にあるのだということを」

 

さんまさんの「生きてるだけで丸儲け」という言葉も思い出しました。

今、できることのなかからなんとかする生き方ですね。