挑戦者となる

 

いよいよマラソンシーズン突入となりました。

久しぶりの大会で、フルあるいはハーフの距離(壁)に対して、自分の体がどう答えてくれるのか実際にやってみるまで想像がつきません。

マラソンでの途中の困難に対して乗り切ることができるのか定かでありません。よく考えてみたら、久しぶり過ぎてあまりに古い記憶になっていて、苦しさや辛さもリアリティがなくなってしまっています。

確か自分の身体と対話しながら、無理して頑張って完走した。

言葉ではそう言えますが、実感は「無理して頑張って」という部分がきっと欠落しています。「完走した」だけが一人歩きして残っている感じです。

日頃からジョギングして、それが準備と言えるのなら準備はしていました。マラソンには、それなりの準備と覚悟が必要だと言いますが、覚悟の点では足りていないのだと思います。

「言志四録」にこんな言葉があります。

 

人は宜(よろ)しく居(お)って安(やす)んじ、玩(もてあそ)んで楽しむべし。若(も)し之(これ)を趨避(すうひ)せんとするは、達者の見(けん)に非(あら)ず。

 

平穏無事ばかりを願うのではなく、険しいところ平坦なところ、変化を楽しむのが良いのだ。それを避けるなら達人にはなれないという意味です。

山あり谷ありの人生を楽しもうとするぐらいがちょうどいいという訳ですね。

尚巴志ハーフマラソンの激坂ポイント・新里坂(シンザトビラ)が多くのランナーに人気なのもそういうことなんだと思います。

社会人となって、純粋なチャレンジャーの立場になれる機会はそう多くありませんから。