先日も「私が休んだら仕事が回らない」と、体調が悪いのに出勤しようとしている方がいました。
私が県立病院で勤務している時に身を持って思い知らされたことを紹介します。
「その人がいなくては回らない」ことなど世界に一つもないということ。
当時の県立病院には、全国的にも優秀な名物先生が、各科にいました。
人手不足などで離島の中核病院に短・中期的に業務応援で出向しなくてはならない事態がままあったのですが、その名物先生たちが出向しても業務は不思議に回っていたのです。
自分がいないとダメだと思っていたのはその人だけだったのかもと、当時ペーペー医師だった私は生意気な感想を持っていました。
それはいつでも、どの分野のどの場面でも同じことでした。
ですから、正直に言えば「素晴らしき哉、人生!」という映画は、共感できないのです。
自殺をはかる主人公を説得するために、天使は彼の存在がなかったらどうなるかを、実社会で体験させました。
良い結果になったから良かったものの(名作とはそういうものです)、その人の存在意義はそこにあるわけではありません。
現に主人公がいない社会も、内容はどうあれ空中分解せずに回っていました。
「夜と霧」のビクトール・フランクルは「人生の意味」についてこう語っています。
「人が人生に意味を見いだすことのできる主な方法は3つある。第一は、創造によって世界に対し何を彼が与えるかということである。第二は、出会いと経験によって世界から何を彼が受け取るかということである。そして第三は、彼が変えることのできない運命に翼面しなければならない場合に、その苦境に対して彼がとる態度である。これが、人生が意味を持つことを決してやめない理由である。」
フランクルは「人生から呼びかけられ、問いかけられている」と言いました。足元の出来事にどのような態度をとり行動するかです。
「私がいなければ回らない」なんていうおこがましさを忘れることです。