禅語「挨拶」

 

挨拶は大事です。

例えば、スーパーに行ったりするとたくさんの人達にすれ違います。

私にとって、その「たくさんの人達」は「その他大勢」のカタマリとして何となくとらえているものなので、それほど注意を払う対象ではありません。あくまでも「その他大勢」で、目に入る光景の一部みたいなものです。

けれども、そこに知り合いがいたりすると、話が違ってきます。溶け込んでいた景色から、その人の輪郭がくっきりと出現してきます。パズルピースが飛び出してきたみたいに、こちらに迫ってくる感じです。

もともと「挨拶」という言葉が、仏教に由来しているのは有名な話ですね。「挨」は押すこと、「拶」はせまるという意味から、挨拶は前にあるものを押しのけて進み出ることをいいます。

「こんにちは」

挨拶をかわすのは、人格が目の前に現れたからです。もっと言えば、人間として認め合うというサインが、挨拶です。

例えば、ジョギングの途中ですれ違った時。知り合いでなくても、会釈して挨拶します。

同じ趣味を持った者同士として、仲間として認め合うというサイン。

ジョギングでなくても、一人がやっと通れる細い道ですれ違った時。相手に軽く会釈をします。

ゆずりあって通る、相手を敬意をもって認めるというサインです。

私は人間としてあなたを認めます。

ですから、相手からの挨拶が返ってこないことを気にしてもあまり意味がありません。

こちら側からのサインを送ることで十分です。それが大事なことです。