「哲学者が走る 人生の意味についてランニングが教えてくれたこと マーク・ローランズ著」は、本のそこかしこに多くのランナーが思っていても言葉に表せなくて、もどかしい思いをした思考の中身を表現した箇所があります。
例えば、この文章。
「走ることは回想の場だ。いちばん重要なのは、それが他者の思考を思い出す場所ではなく、わたしがとうの昔には知っていたのに、成長の過程や何がしかの者になる過程で忘れざるを得なかった、何かを思い出す場だということだ。」
さすが哲学者といったところでしょうか。確かにフルマラソンのような長くて苦しい道のりの時、ランナーは「走りのささやき」を聞くことがよくあります。
自分のささやきではなく、「走り」そのものがささやいているとしか言いようがない「何か」の啓示です。
今まで思い出すこともなかった、ある日の家族との会話が、ふとよみがえったりするのです。
それから、次の文章も。
「人生で大切なことは、わたしたちが目ざす到達点ではなくて、一つの人生のいたるところに散在するものであり、もっとも基本的には、喜びが外から私たちを暖めてくれるこれらの瞬間 ― 活動の成果ではなく活動そのものに専念している瞬間、目的ではなく行為に専念する瞬間 ― に存在する、ということを示している。」
簡単に言ってしまえば、結果よりもプロセスを楽しんだ方がずっといい、ということですね。
そして、年齢を重ね、老いを感じる人に対して、こんな励ましの言葉を送っています。
「若さは生物学的な年齢の問題ではない」「若さは活動が遊びになるとき、それ自体のために何かをするときには、いつでも存在する」
遊びのように夢中になれば、人は老いることがないということです。
子どもの時のように夢中になるものを、大人こそ見つけたいですね。