執着という呪縛

 

今日は「法句経(ダンマパダ)」(ブッダの真理の言葉 中村元訳)から。

212 愛するものから憂いが生じ、愛するものから恐れが生ずる、愛するものを離れたならば、憂いは生じない。どうして恐れることがあろうか?

 

仏教とは常に問い続けるものだと教わりました。

この偈は、「なぜ憂いや恐れが生じるのか」のヒントを与えてくれるものです。

愛情があるからこそ、私たちは相手に甘えてしまいます。

勝手に期待をして、それが満たされないとがっかりします。それが憂いです。

では、愛するものから生ずる恐れとはどういうことでしょう。

自分のことを相手がどう思っているか、不安に思ったり恐れたりすること。

愛情というよりも、執着と表現した方が良さそうです。

執着という呪縛から離れたならば、憂いや恐れが生じることはない。

憂いや恐れを感じたならば、自分が歪んだ愛情に囚われていないか、セルフチェックしてみる必要がありそうですね。