木鶏と芻狗

禅語集から。

 

木鷄鳴子夜 芻狗吠天明

もくけい しやになき すうく てんめいに ほゆ

 

意味は、木彫りの鶏が子(ね)の刻(深夜零時ごろ)に鳴き、藁細工の犬が夜明けとともに吠えだした、という意味です。

木鶏が鳴くのも、芻狗が吠えるのも、まるで幻想のお話です。この世の常識をはみ出しています。

そのうえ、本来、鶏が鳴くのは明け方ですし、犬の遠吠えは深夜というのが定石ですが、それを敢えて逆にしています。

つまり、木鶏や芻狗であろうとも、一心に念じれば、自由自在に鳴いたり、吠えたりすることが出来るのだ、と解釈できます。

これは、常識にとらわれない自由自在の突き抜けた境地のこと。

そこへ到達するにはなかなか難しい気がしますが、世間がそうだからとかで「常識」にしばられないこと。いたずらにとらわれない姿勢を持つことはとても大切なことです。

この境地のように、自分自身の感性を信じることができるのならば、どれだけ自由になれるでしょう。