忍辱の心

 

法句経(ダンマパダ)から。

「第九章 悪」から、119から122の偈を続けて紹介します。(ブッダの真理の言葉 中村元訳)

 

119 まだ悪の報いが熟しないあいだは、悪人でも幸運に遇うことがある。しかし悪の報いが熟したときには、悪人はわざわいに遇う。

120 まだ善の報いが熟しないあいだは、善人でもわざわいに遇うことがある。しかし善の果報が熟したときには、善人は幸福に遇う。

121 「その報いはわたしには来ないだろう」とおもって、悪を軽んずるな。水が一滴ずつ滴りおちるならば、水瓶でもみたされるのである。愚かな者は、水を少しずつでも集めるように悪を積むならば、やがてわざわいにみたされる。

122 「その報いはわたしには来ないであろう」とおもって、善を軽んずるな。水が一滴ずつ滴りおちるならば、水瓶でもみたされる。気をつけている人は、水を少しずつでも集めるように善を積むならば、やがて福徳にみたされる。

 

 

「忍辱」とは、仏教の言葉ですが、辞書には「耐えしのび、怒りの気持ちを起こさないこと。種々の苦難や迫害に耐え、安らぎの心を持つこと」とあります。

しかし、さらに仏教関連の本を読むと、単に耐え忍ぶ、我慢するという意味ではないと言います。

忍辱は「待つ必要を感ずる心」。

今は停滞している状況、あるいはむしろ逆境だとしても、自分が正しいと思うことをコツコツと積んで、その機が熟するまで、ひたすら待つ。

上の法句経の四つの偈は、忍辱の大切さを説いているのだと思います。

 

今日、新型コロナのPCR検査陽性者数が981人の速報値が出ました。

今こそ忍辱の心を思い出しながら、感染対策の一つひとつを丁寧に積み重ねていきたいと思います。