「あっぱれ」と「喝」で人気のスポーツ解説者の方が番組のレギュラーを降板されるのだそうです。
今日はその「喝」について。
ご存知の通り、もともと「喝」は禅に由来する言葉です。
最初に言ったのは誰で、誰に言ったものなのかも伝わっているようですから、記録するような衝撃的なことだったのかも知れません。
喝には4つの喝があるとされています。
1)迷いや妄想を断ち切る喝
2)寄り付く隙もない威力をもった喝
3)相手が本物か偽物かを見抜く喝
4)自然のまま、何の造作も加えない喝
今思い返せば、1)の喝には、だいぶ救われてきました。
落ち込んでいるとき、先輩に喝を入れられて、悩みが吹っ切れたというのは若い頃に経験したものです。
そして、4)の喝。
これは、無喝の喝ともいうべき悟りの境地から出た一喝と言われています。すなわち、最上級の喝です。
思い出すのは、私がボーイスカウトの団員として活動をしていた時、言うことをきかないスカウト達を叱るのがどれだけ難しかったか…。
どうしても私の場合、オレの言うことをきけ!と我が出てしまうのです。しかも、大声でわめいて静かになるような子ども達ではありません。
その点、団員長の叱り方は、権威に寄らず、さわやかで、叱られているスカウト達も素直に受け止めましたし、場も真剣でした。
今から思えば、あれは「無喝の喝」だったのでしょう。
とても憧れたものですし、おおいに尊敬していました。しかし、ついにマネすらできませんでした。
境地のなせるワザだったのですね。