映画「真実の行方」

 

個人的な意見ですが、ミステリの醍醐味はやはりどんでん返しに尽きると思います。

最後の最後まで目が離せないのは、周到に用意された伏線の回収と意外な結末が(きっと)待っているからです。

それには、ムリがないストーリーの展開が欠かせません。

そこに突飛な要素が入ってしまうと、それがトゲになってしまって思考がストップしてしまうのです。

納得感の要素のひとつが登場人物たちの「動機」です。

なんでそんなことをしたのか?が(人間として)理解できないと、最悪の場合、作品全体を否定することにもなりかねません。

さて、久しぶりに「どんでん返し」の王道ともいえる映画「真実の行方」を観ました。

1996年のリチャード・ギアが弁護士役の法廷ミステリものの映画です。

どんでん返しを知っていても、最後の主人公の恐怖と絶望感、そして無力感が入り混じった複雑な感情は、何度観ても共感(同情?)してしまいます。

若い頃のエドワード・ノートンの快演ぶりが光りますし、まるでちゃぶ台をひっくり返すような結末は想像はしていても、なかなかできることではありません。

わかりやすく丹念にストーリーを構築しながら、動機を丁寧に描写し、誰もが納得する結末をいったんは見せながら、最後のどんでん返しのために、それらを全てぶっ壊してしまったのですから、そこに驚きです。

その衝撃が強すぎて、「動機」や「整合性」など、どうでもよくなってしまいます。

あとで冷静になると「ん?待てよ…」とはなるのですが、この映画の本質はそこではないのですね。

法廷ミステリというのも実は見せかけで、「羊たちの沈黙」のように極めて特異かつ天才的な犯罪者を描いたものとして理解する方が良い気がします。

どうであるにせよ、今でも語れるほどの映画であることには間違いありません。

かなり昔の映画ですが、どんでん返しが好きな方には、おすすめの映画です。