「上善如水」

 

老子に「上善如水」という言葉があります。

日本酒の銘柄が有名になりすぎて、なんとなく字面から「清水のように善い感じ」というニュアンスで受け取っていました。

後に続く言葉を含めて訳すと、だいぶ違うようです。

「最上の善は水のようなものだ。水は万物に恵みを与え、しかも争わず、それでいてすべての人が嫌がる低いところにいる。それゆえに水は道に近い。」

そういえば、老子といえば「道(TAO)」の思想家でしたね。

 

ところで、この文章を読んで、まず頭に浮かんだのが黒田官兵衛の「水五訓」です。

 

「水五訓」

一つ、自ら活動して他を動かしむるは水なり。

一つ、障害にあい激しくその勢力を百倍し得るは水なり。

一つ、常に己の進路を求めて止まざるは水なり。

一つ、自ら潔うして他の汚れを洗い清濁併せ容るるは水なり。

一つ、洋々として大洋を充たし発しては蒸気となり雲となり

   雨となり雪と変じ霰と化し凝っては玲瓏たる鏡となり

   たえるも其性を失わざるは水なり

 

「上善如水」とは、つまり「水に学べ」ということですね。

昔の人は、道に迷ったり閉塞感に苦しんだりする時、この「水五訓」の「水」を「私」に置き換えて読むと良いと教えてくれました。

確かに、「水五訓」ならぬ「私五訓」を声に出して読む時、かなり背筋が伸びる感じがします。