相手の「ありのまま」を祈る

今回は「アランの幸福論」からの引用です。

 

人と人とのかかわりにおいて、お互いがお互いから期待できる、ただひとつの手助け ― それは、相手の存在を認めて、その人が本当にその人自身であることだけを求めることである。

人をありのままに受け入れることはたいしたことではない。結局、どうしてもそうしないわけにはいかなくなる。むしろ、相手にありのままでいて欲しいと祈ること、これこそ正真正銘の愛なのである。

 

何気ない言葉ですが、ちょっと振り返って、2度ほど衝撃を受けました。

ひとつは、私が「ありのまま」と言う時、自分がそのままでいたいと思っているだけかも、と気づいてしまったことです。その時、視線の先は外に向いていません。

「ありのまま」は、人とのかかわりではなく、自分自身に対する癒しワードになってしまっています。

相手がいるのに自分だけが「ありのまま」を主張するのは、それこそ「わがまま」でしょう。

「ありのまま」は、まさに相手に向けた言葉であるということ。

  

ふたつめは、「そう願ったことがあるか?」という問いかけです。

相手の存在や行為、発する言葉を全面的に認めるというのはなかなかできることではありません。

しかも、受け入れるだけではダメで、むしろ、そうして欲しいと祈ること。

旧友たちに「ヒジル~」と看破され、正真正銘の愛からほど遠い場所にいる私にとって、難しい課題が与えられた気分です。