カフカの手紙

カフカの父への手紙に、こんな一節があります。私はあまりに身につまされて、自分の過去の煩悶がフラッシュバックしてしまいました。

 

 

たとえば、

ここにAとBがいて、

Aは階段を一気に5段あがっていくのに、

Bは一段しかあがれません。

しかし、Bにとってその一段は、Aの5段に相当するのです。

Aはその5段だけでなく、

さらに100段、1000段と着実にあがっていくでしょう。

その間に通過した階段の一段一段は、彼にとってはたいしたことではありません。

しかし、Bにとって、その一段は、

人生で最初の、絶壁のような、全力を尽くしても登り切ることができな階段です。

乗り越えられないのはもちろん、

そもそも取っ付くことさえ不可能なのです。

 

 

自分だけのことであれば、時間はかかるにしてもその挫折とは別の道を模索し、自己を救済する手立てを探っていけるでしょう。

 

けれども、これは父への手紙です。

 

察するに、父から期待され叱咤激励されながら、それに応えることができなかった苦悩が、行間から滲み出ているようです。

 

期待値が大きければ大きいほど、内外の向きにかかわらず、それに応えようと人は息が出来ないほどにがんじがらめになってしまいます。

 

カフカの手紙のように、自分が困難な課題を克服できないのは、自分に価値がないからだと思ってしまうのです。

 

しかし、実際にはどんな形であれ達成できるのです。自分や他人が望むようには達成できないとしても。

 

ですから、まず心しておきたいのは「人の期待に生きることはしない」という決意です。

 

人の評価では短所でも、別の視点では長所かも知れません。自分を好きになるのは、人の目は要りません。自分の価値は自分で見つけるものです。

 

承認欲求を捨てる覚悟が必要ですね。