詩「顎」

井伏鱒二の詩は、どこかユーモラスで思わずニヤリとしてしまうものです。

 

例えば「散文が書きたくなるとき、厄除けのつもりで」書いたという「厄除け詩集」

 

あの有名な訳詩の一節「「サヨナラ」ダケガ人生ダ(勧酒 于武陵)」が収載されている詩集だといえばお分かりでしょうか。

 

そのなかの「顎」という詩は、私の特にお気に入りです。

 

 

 

 

けふ顎のはづれた人を見た

電車に乗つてゐると

途端にその人の顎がはづれた

その人は狼狽(うろた)へたが

もう間にあはなかつた

ぱつくり口があいたきりで

舌を出し涙をながした

気の毒やら可笑しいやら

私は笑ひ出しさうになつた

 

「ほろをん ほろをん」

橋の下の菖蒲(しやうぶ)は誰が植ゑた菖蒲ぞ

ほろをん ほろをん

 

私は電車を降りてからも

込みあげて来る笑ひを殺さうとした

 

 

顎がはずれた人を見て、「笑っちゃいけない」と必死で自制しようとする鱒二。

 

ぶっきらぼうに突き放したような表現をしながら、同情を寄せています。

 

私も似たような場面に出くわしたことがあるので、その時の情景が見事に再び浮かんできました。

 

「込みあげて来る笑ひを殺さうとした」というのは、もうすでに笑ってしまっているということですね。

 

「ほろをん ほろをん」というオノマトペが絶妙に効いています。