勇者にとっての死は一度

 

名言を入り口にして、この前からシェイクスピアを読み返すようになりました。

 

今、読んでいるのは、4大悲劇と呼ばれる「ハムレット」「オセロー」「マクベス」「リア王」へと続く、後期作品である『ジュリアス・シーザー』です。

 
 ジュリアス・シーザー シェイクスピア著 福田 恒存訳
 

 

登場人物たちのセリフが、とにかく、ひとつひとつニクい!

どこかで目にしたことがあるような言葉が、これでもかという具合に出てきますから、古典を読む楽しみというのは、こういうところにもありますね。

 

例えば、第二幕第二場。凶兆があるから出かけてはいけないととめる妻のキャルパーニアに対して

 

シーザー:

臆病者は現実の死を迎えるまでに何度でも死ぬものだ。勇者にとって、死の経験は一度しかない。

世の不思議はいろいろ聞いてきたおれだが、何が解らぬといって、人が死を恐れる気もちくらい解らぬものはない。

死は、いわば必然の終結、来るときにはかならず来る、それを知らぬわけでもあるまいに。

 

これは、以前に紹介したセネカの言葉に通じていますね。

 

およそ惨めなものは、将来のことを不安に思って、不幸にならない前に不幸になっている心です。

 

まだ起こってもいない心配事、煩悶とするのは、惨めだからやめなさい、というような意味です。

 

しかし、死に対してそこまで達観性を持つというのは、常人ではなかなか難しいものです。

勇者に対する畏敬の念はありますが、自分はとても真似ができるものではありません。

 

シーザーが生きた時代と彼の生い立ちや地位が、彼にそう思わせているのでしょう。