「マウントをとる」

 

 

いわゆるネットから派生してきた言葉なのでしょうが、子ども達が普通につかっていて、そのハマりように感心したものがあります。

 

少なくとも私が若い頃にはなかった言葉です。

 

「マウントをとる」

 

私が初めてマウントという言葉を知ったのは、確かブラジリアン柔術最強の男、ヒクソン・グレイシーが来日して格闘技界が湧いていた時だったと思います。

 

それまで、格闘技はプロレスを筆頭に、少なくともショー的な要素が必然だったのですが、エンターテインメント性を一切排除して勝負を追及するブラジリアン柔術は、マウントポジションやガードポジションといったポジショニングの概念を格闘技に導入してきました。

 

パワーとテクニックを駆使してマウントポジションにいたるヒクソン・グレイシーの試合は、息をもつかせぬ緊迫感がありましたし、いったんマウントをとると何があっても返すことができないとまで言われていましたから、相手の選手も必死で抵抗していました。

 

それでも、あっさりマウントポジションをとられてしまうので、その瞬間に「あぁ~」と大きなため息が会場を覆い尽くすのでした。

 

マウントポジションとは、具体的には、相手を下にしてまたがり、馬乗りになって攻撃する体勢です。

 

(思わず熱く語ってしまいましたが、今日は格闘技の話ではありませんでした。)

 

「マウントをとる」とは、相手を見下し、自分を相手よりも大きく上位に見せようとすること。他者に対して自分自身の優位性をアピールすること。

 

優位に立とうとするだけならまだマシな方で、相手を支配しようとする人がいます。

 

若い人たちが「あの人はすぐにマウントをとりたがる」というように使うのは、そういう人間関係に敏感であるということなのでしょう。

 

言葉でやり込めてくる人、態度で見下してくる人、理屈で言い負かそうとしてくる人。

 

これらの関わりに、傷ついて疲れ切っているのかも知れません。

 

「マウントをとる」という言葉が、最近の世の中の空気を表している気がします。