以前に購入して、そのままにしていた本がたくさんあります。
普通は「積ん読」と言うのでしょうが、私の場合、買って置いてあるのを忘れているので質(たち)が悪いのだと思います。
うんと昔には、本屋から家に戻ったら、同じ本が3冊目だったということもありました。
嗜好の方向性は変わっていないというのは十分に証明できたかも知れませんが、中身を吟味せずに表紙を見ただけで購入してしまったということです。
そういうことは、私が大好きな、神谷美恵子さんや河合隼雄さんの書籍にありがちでした。
最近、読書好きのスタッフから「面白い本はありませんか?」と言われて、「さくだ蔵書」からお貸しするのですが、「あれ?こんな本、自分、持ってたっけ?」というのが多いのが、自分でもびっくりです。
たぶん、以前に、中身は確認せずに、タイトルや表紙が気になって衝動買いした本たちなのでしょう。
私はどちらかというと「オン・オフ」の区別が得意な方なのですが、このコロナ禍の最中に敵から目を逸らすのが嫌だったのかも知れません。
あるいは、「全てを忘れてほかのことを楽しむ」ということに、うしろめたさのようなものを感じていたのかも知れません。
私だけかも知れませんが、「自粛」の言葉の重みには、ちょっとそういうニュアンスを感じてしまう向きがあります。
「楽しんでいる場合じゃない」という変なブレーキです。
これではいけないと、連休を前に思いました。
私の連休は(と言っても外来が休診なだけで透析室は毎日ありますが)読書三昧しようと決めました。