「かるみ」

 

昔、お酒の席か何かで、ある人から「読んだことはあるだろうが、五十代になったら是非また読んだ方がいい」と勧められていた本があります。

松尾芭蕉の「おくのほそ道」です。

芭蕉がみちのくの旅へ出たのが数え年46歳の頃だそうです。ほぼ五十代。でも、昔の寿命を考えたら、ひょっとして六十代、七十代に相当するかも知れません。

その人が勧めたのは「芭蕉の境地には到底及ばないものの、年齢的には近くなったのだから、心境がわかるはず」ということでしょうか?

その人は「松尾芭蕉が説く「かるみ」に憧れている」と言っていました。

私は知らなかったのですが、「かるみ」という言葉は、俳句を勉強したら「松尾芭蕉」と一緒に必ず出てくるパワーワードなんですね。

ある本には、「嘆きに満ちた悲惨な人生でも、微笑みをもって乗り越えていくという生き方」と説明されています。

太宰治の「パンドラの匣」にも松尾芭蕉の「かるみ」について触れた箇所がありました。(青空文庫より抜粋)

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 君、あたらしい時代は、たしかに来ている。それは羽衣のように軽くて、しかも白砂の上を浅くさらさら走り流れる小川のように清冽なものだ。芭蕉がその晩年に「かるみ」というものを称えて、それを「わび」「さび」「しおり」などのはるか上位に置いたとか、中学校の福田和尚先生から教わったが、芭蕉ほどの名人がその晩年に於いてやっと予感し、憧憬したその最上位の心境に僕たちが、いつのまにやら自然に到達しているとは、誇らじと欲するも能わずというところだ。この「かるみ」は、断じて軽薄と違うのである。慾と命を捨てなければ、この心境はわからない。くるしく努力して汗を出し切った後に来る一陣のその風だ。世界の大混乱の末の窮迫の空気から生れ出た、翼のすきとおるほどの身軽な鳥だ。これがわからぬ人は、永遠に歴史の流れから除外され、取残されてしまうだろう。ああ、あれも、これも、どんどん古くなって行く。君、理窟も何も無いのだ。すべてを失い、すべてを捨てた者の平安こそ、その「かるみ」だ。

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この「かるみ」は、よくわかりませんが「悟り」とも違う気がします。

このご時世にこそ意識して「かるみ」を、「おくのほそ道」から読み解いてみたいと思いました。