詩「おれの期待」

 

昨日、ふと目にした詩にグッと心が引き寄せられました。

 

✳︎

 おれの期待

    高見 順

 

徹夜の仕事を終えて

外へおれが散歩に出ると

ほのぐらい街を

少年がひとり走っていた

ひとりで新聞配達をしているのだ

 

おれが少年だった頃から

新聞は少年が配達していた

昔のあの少年は今

なにを配達しているだろう

ほのぐらいこの世間で

 

なにかおれも配達しているつもりで

今日まで生きてきたのだが

人々の心になにかを配達するのが

おれの仕事なのだが

この少年のようにひたむきに

おれはなにを配達しているだろうか

 

お早う けなげな少年よ

君は確実に配達できるのだ

少年の君はそれを知らないで配達している

知らないから配達できるのか

配達できるときに配達しておくがいい

楽じゃない配達をしている君に

そんなことを言うのは残酷か

 

おれがそれを自分に言っては

おれはもうなにも配達できないみたいだ

おれもおれなりに配達をつづけたい

おれを待っていてくれる人々に

幸いその配達先は僅かだから

そうだ おれはおれの心を配達しよう

 

✳︎

今となってはかなり薄れがちな記憶ですが、私は小学生の頃、新聞配達をしていたことがあります。

あの頃はクラスメイトの間で新聞配達をすることが流行っていて、私も友達に誘われたので「やってみようかな」ぐらいの気持ちで引き受けたのですが、この詩のように「楽じゃない配達」でした。

雨の日や台風が近づいている時などよりも、何もない静かな朝の時の方が辛かったというのを覚えています。

とにかく眠かった。けれども、走らなければ学校に遅れてしまいます。

配達することは楽じゃない。何を配達するのでも。

「おれの心を配達しよう」なんて、とても真似ができないです。

 

 

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