その人が心配していることを残念ながらすぐには共感できない時があります。
医療者としての知識や経験が、その人の「心配ごと」を「心配無用のこと」だと判断している場合はそうです。
ただし、それは心配の対象を理解していますから、「もしかしたらそれを心配する人があるかも知れない」という想像はできます。
ですから、「それはこういうことですから心配しなくていいですよ」とお答えすることができます。その答えが的を射ている時、安心してもらえます。
困るのは、それがなぜ心配の対象になるのかがわからない場合です。
例えば、「今まで一度も風邪をひいたことがなかったのに、風邪をひいた。なぜ風邪をひいたのか、心配だ。」と言ってくる方がいます。
医療者は風邪をひいている人、胃腸炎を患った人、頭痛もちの人、腰痛の人などを毎日診ていますから、それが特別のことではないことを知っています。
特に風邪はライノウイルス、コロナウイルス、RSウイルス、パラインフルエンザウイルス、アデノウイルスなどの、いわゆる風邪ウイルスが感染して炎症を起こすものですから、「なぜ風邪をひいてしまったのか」という問いへの、満足のいく答えはしてあげることができません。
「最近は流行っていますから、どちらか人混みの中で感染したのでしょうね」という曖昧な返事しかできないものです。
もちろん、その方が望んでいる「答え」ではないため、不満そうな表情が返ってきます。
つまり、その方の心配は、風邪の表現を借りて、もっと別の、根本的な理由で心配しているのです。
「風邪をひいたのは、悪いことが起きているのか」と問いかけた方は、最近、親しい友人を癌で亡くされた経験を持っていて、それがとにかく不安でしかたがなかったようでした。
言葉にすればわかるのですが、それはご本人も自覚していないことが多く、ゆっくりと時間をかけて問診しないとわからないことが多いです。
特に短い診療時間の中で、問診し身体所見をとり適切な処方を行うこと以上に、そういう「心配ごとの本質」を表出させるのは、なかなか難しいです。
けれども、本人ももしかしたら自覚していない「心配ごと」を見つけるヒントはあります。
「なぜ、その人がそれを心配しているのか、ちょっとわからない」
この「ちょっとわからない」が糸口になります。
その時、早急に答えを見つけようとしないことが大切です。答えは別の人に見つけてもらうぐらいの気持ちがちょうどいいと思っています。
一番良いのは、その人に答えを発見してもらうことですから。