今さら私が言うことでもないのでしょうが、人には「時機」があります。
蝶の姿を早く見たいばかりに、まだ時機を得ていない蛹の殻をこわしてしまったら、どんな結果が待っているかは想像の通りです。
未来に、何が待ち受けているかはわかりませんが、結果ではなく、その人の「成長」の可能性を信じることはできます。
結果は待つしかありません。
結果の「吉」「凶」は占いに頼るしかありませんが、その人がまっすぐに進んでいるのなら、その人が「成長した姿」に成果を託すことはできます。
最近、外来で糖尿病の患者さんと接していて、よく頭によぎるのは、上の「蝶と蛹」のお話です。
その人の「時機」がくるまで、なんとか外来への通院だけは続けて欲しい。自己中断しないのが最低ラインの願いです。
先日、久しぶりに同伴してきた奥様に「先生がどんな指導をしているか確かめにきた。」「私が言っても聞かないから、先生に怒ってもらいにきた」と言われて、その患者さんと一緒になって小さくなってしまいました。
患者さんと目配せしながら(まずいね)(今日は分が悪いです)と合図しあいます。
けれども、こういう方が(どういうわけか)やる気を起こして、実践し始めると、みるみる改善していくのです。
あの頃はなんだったのだろうと思うほど、大変身を遂げてしまいます。
それは医者が操作できることなのでしょうか?
私が未熟なだけなのかも知れません。
そんな未熟な私は「時機」としか言いようがないものを感じています。
ですから、「時機」と「成長」を信じるのです。