保護色

 

あまりに多くの人が求めるために、そうせざるを得ない状況になってしまう時があります。

自分の器に見合ったことならば、かつ、自分の志向と大きな食い違いがなければ、大きな問題にはならないかも知れません。

そうでなかった場合は、葛藤することになります。

葛藤の末に妥協できるのならば、そうしているでしょうし、できないのならば孤立を覚悟で自分の個性を主張する必要があるかも知れません。

「自分らしく」ということの難しさがそこにあります。

妥協は、自分を社会と調和させる保護色のようなものです。自分を主張するのならば、自然と極彩色を放ちます。

それを生き良いと感じるのかどうかは、人によって違うでしょうし、時と場合によっても違うでしょう。

「自分らしく」とは何なのか。よく考えてしまいます。

 

 

 

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