嫌な自分

 

その人は「自分が嫌で、自分を消してしまいたいと思って。」と言いました。

私は「そう。」とだけ返事して、否定も肯定もしませんでした。

自己嫌悪に陥っている人は、自分で自分を見つめていくしかないと思っているからです。

作家の竹西寛子さんは、こんな言葉を言ったそうです。

 

「人生とは、嫌な自分をどこまでも連れて歩くことです。」

(「人生を変える言葉2000」より)

 

誰もがそうなのです。

「自分が好き」という人はいますが、少数派だと思います。むしろ、私の個人的な感想ですが、「自分のことが嫌い」と思っている人の方が多いです。

ネガティブな感情を無理になくすことはできません。

感情や感覚は、エネルギーだからです。エネルギーの向かう先を変えたり、形が変化することはあっても消すことはできません。

それではどうしましょうか。

私の場合、そういう自分をただ観察します。たくさんの感情や思考が入り乱れて収集がつかない場合は文字に書き記すこともあります。筆記することで、少しはマシな文脈で考えることができます。

ダメだ、またやってしまった、最悪なやつだ。

そういう判断は後回しにします。私がしようとしているのは「あるひとりの人間の観察記録」です。

「私」の責任を問いません。あくまでも人間代表としての「ひとりの人間」の記録です。

自分のことを「彼」(あるいは「彼女」)と呼んでもいいかも知れませんね。

「そんなこと」を思考したり、行動したりしたのは、彼が人間だから。人間の性を背負っているから。

なんて人間って愚かなんだろう。自分が愚かなのではない。人間が愚かなのだ。

そういう人間を、優しさに満ちた微笑みを向けて観察し続けます。

そして、「バカだなあ」と笑えるようになればシメたものです。

その瞬間が「私」が消えたときだと思います。

 

 

 

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