「不幸せの時くたびれる者は役に立たざるなり」
これは「葉隠」山本常朝著の一文です。
「葉隠」は「武士道と言うは死ぬことと見つけたり」の文が有名ですが、実は内容としては当時の武士の「処世術のマニュアル本」として再評価されているとのことです。
(又聞き調なのは、実はまだ読んだことがないからです。)
前述の「不幸せの時…」は、なんとも他人まかせの言葉だなあと思ったのが最初の感想でした。
まるで奥さんが甲斐性なしのだんなさんを非難しているかのようだと想像してしまったのです。
役に立つのか立たないのかは、それこそ「誰にとって」という前提がありますが、つまり、その人が帰属している集団にとって「役に立たない」と言っているのですね。
「不幸せの時にくたびれている者は、役に立たないから当てにするな。」
けれども、この文をよく読み返してみると、冷たいようでいて、実は適切なアドバイスではないかと思ってきました。
「不幸せの時にくたびれないようにしろ。」「くたびれない人はえらい!」ではないところがミソです。
いつの時代でも、どんな人でも、不幸せの時にくたびれる人は、現実にいるのです。
「くたびれる」とは、自分でもどうしようもなく「疲弊すること」「エネルギーが枯渇すること」です。
そういう人は役に立たないよ。ベンチで休んでいてもらいなさい。いいからいいから。それは不幸せの時だもの。それはお互いさま。現場から少しはずれてもらって、そっとしておいてあげましょう。
そう言っているように思えませんか?