「今日が一番若い日」

 

渡辺和子著「愛をこめて生きる」の中に、こんな文章があります。

 

「今日」という日は、母の胎(たい)から生まれて六十年たった自分にとって一番歳をとった日である。しかしながら、今日よりもう若くなることはないとすれば、自分にとって「一番若い日」でもあるのだ。そう思う時、そこに「今日」のありがたさが生まれてくる。権利としての一日ではなく、“たまもの”としての一日になる。

 

 

今日が自分にとって人生で「一番若い日」というのは、なぜでしょう、私も最近よくそう思うようになってきました。

何か新しいことを始めようとする時に、私は事の成り行きを気にせずに着手する傾向があります。

形にならなくても何となく数をこなしているうちに、ひとつぐらいは成就するんじゃないの…という甘い気持ちがあるようです。

 

 

若い時は、そのスタンスで楽しかったのです。ムダや回り道も多かったですが、結構楽しんでいました。

じゃあ、最近は、というと、やっぱり最後の形が想像つかなくても、手を付けています。

なぜなら、「今日が一番若い日」だと思っていますから。

 

 

先日、亡くなられた日野原重明先生も、こんな言葉をのこしていたと聞きました。

『年をとることは、未知の世界に一歩ずつ足を踏み入れること。こんな楽しい冒険はない』

まさしくそうだと思います。

 

 

 

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