実家の庭にパッションフルーツの実がぶら下がっていました。
「まだひとつぐらい、花が残っているんじゃないかな。」
父がそう言いながら「ほら、それそれ」と言って指差して教えてくれました。
全体の印象が、ややくたびれた感じがないではなく、これがパッションフルーツの花かと思うような花でした。
パッションというわりに、全く情熱的ではないなというのが感想です。
ところが、ネットで調べてみると、パッションフルーツのパッションは、情熱という意味ではないのですね。
ウィキペディアにはこうあります。
英名 passion flower は「キリストの受難の花」の意味で、イエズス会の宣教師らによってラテン語で flos passionis と呼ばれていたのを訳したものである。 16世紀、原産地である中南米に派遣された彼らは、この花をかつてアッシジの聖フランチェスコが夢に見たという「十字架上の花」と信じ、キリスト教の布教に利用した。 彼らによればこの植物はキリストの受難を象徴する形をしており、花の子房柱は十字架、3つに分裂した雌しべが釘、副冠は茨の冠、5枚の花弁と萼は合わせて10人の使徒、巻きひげはムチ、葉は槍であるなどと言われた。
なお、英単語 passion には「情熱」の意味もあるが、この植物の名称での passion は「受難」の意味であって、「情熱」の意味ではない。
そうだったのか!と軽い衝撃を受けました。
今までパッションフルーツって情熱的な果物という意味なんだと思っていましたから。
実は深い歴史があったのですね。