「とても」と芥川龍之介

 

「全く」という言葉は、その後に特に否定表現を続けて、完全な否定の気持ちを強調します。

「全くわからない」など。

 

肯定文で遣う場合は、嘘や誇張がない真実であることを強めて表す場合です。その時は「実際に」とか「ほんとうに」という意味が含まれています。

「全くあなたのおっしゃる通りです。」など。

 

「全く」や「全然」の後には、かならず否定表現を続けなければならないと思い込んでいた時期もあって、言葉って面白いなあと思っていたのですが、芥川龍之介の「澄江堂雑記」を読んでいたら、さらに面白い文章にぶつかりました。

 

あの芥川龍之介も(いやむしろ大作家だからこそ?)「最近の若者は、言葉の遣い方がなっちょらん!」と密かに憤慨していたのでしょうか。

 

青空文庫で見つけたものを、そのまま引用します。

「澄江堂雑記」とは、芥川龍之介の短いエッセイをまとめたエッセイ集です。

リンクを貼っておきますね → 「澄江堂雑記

そのうちの二十三 『とても』というタイトルのエッセイです。

 

「とても安い」とか「とても寒い」と云ふ「とても」の東京の言葉になり出したのは数年以前のことである。勿論「とても」と云ふ言葉は東京にも全然なかつた訣(わけ)ではない。が従来の用法は「とてもかなはない」とか「とても纏(まと)まらない」とか云ふやうに必ず否定を伴つてゐる。

 肯定に伴ふ新流行の「とても」は三河(みかは)の国あたりの方言であらう。現に三河の国の人のこの「とても」を用ゐた例は元禄(げんろく)四年に上梓(じやうし)された「猿蓑(さるみの)」の中に残つてゐる。

秋風(あきかぜ)やとても芒(すすき)はうごくはず 三河(みかは)、子尹(しゐん)

 すると「とても」は三河の国から江戸へ移住する間(あひだ)に二百年余りかかつた訳である。「とても手間取つた」と云ふ外はない。

 

 

かなり皮肉たっぷりのユーモアでしめくくっていますね。

「とても」の遣い方について、歴史的な変遷を調べてみるのも、面白そうだと思いました。

 

 

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