落語を聴きたくなります。
自分の救いようのないところで自己嫌悪に陥りそうなところを、落語の登場人物たちはそれ以上に馬鹿を演じてくれています。
江戸時代の昔から、もっとそれ以上の太古から、人のユーモアは永遠不滅なのでしょう。
明るみに出ないような浅はかな企みはありません。
枯れ尾花が幽霊の正体だったというお話は、現実にはよくあることです。
落語が生まれた時代背景には、決して優雅で風流なだけの世相ではなかったでしょう。
アルフォンス・デーケン氏の「ユーモアとは、にもかかわらず笑うこと」の言葉が思い出されます。
決して裕福でなく、むしろ生活苦にあえいでいる。けれども、それをたくましく笑い飛ばしてしまう。
ユーモアを、まさに体現していた時代だったのではないかと想像するのです。
デーケン氏は「死」と「ユーモア」には、とても深い関係があると述べています。
「自分が「死」に直面した時に過剰な恐怖や不安を和らげるだけでなく、緊張をほぐして、怒りの感情を鎮め、苦悩のさなかにあっても、自分を客観視して笑い飛ばせます。」
そして、こう付け加えます。
「ユーモアの源は、相手に対する思いやりです。」
笑いは、人生の「○○」である。
この「○○」の中をユーモアで埋めるのも、楽しいですよ。