「一房の葡萄」

有島武郎の「一房の葡萄」は、青空文庫で読むことができます。→ こちら「一房の葡萄」

あらすじはこうでした。

 

西洋人の横浜の学校に通っている僕は、風景画を描いていたが本当の海の色が出したくて、あまり絵が得意でもない級友のジムが持っている、美しい西洋絵の具が羨ましくてたまりませんでした。

ある秋の日、ふとジムの机の中から絵具を2本盗んでしまいました。

しかし、すぐにジム達に見つかり、大好きな先生のところに連れて行かれました。

その西洋人の若い女の先生は、泣き出した「僕」の様子にすべてを察し、絵の具を返したことを確かめた後、「あなたは自分のしたことをいやなことだったと思っていますか。」とたずねただけで、叱ろうとしません。

そして、窓近くの一房の葡萄をもぎ取って僕の手にのせ、つぎの一時間は自分が授業から戻ってくるまで、先生の部屋に居るように言いつけて教室に行きました。

戻ってきた先生は、「そんなに悲しい顔をしないでもよろしい。もうみんなは帰ってしまいましたから、あなたもお帰りなさい。そして明日はどんなことがあっても学校に来なければいけませんよ。あなたの顔を見ないと私は悲しく思いますよ。きっとですよ。」と言って、「僕」のカバンに葡萄の房を入れました。

次の日、なかなか学校に行く気なれない「僕」は、先生を悲しませてはいけない、優しい目で見られたい一心で、登校しました。

すると、ジムが飛んできて「僕」を先生の部屋に連れて行き、そこで手を握り笑顔を見せてくれました。

先生はにこにこしながら僕に「昨日の葡萄はおいしかったの。」と問いかけ「そんならまたあげましょうね。」といって、葡萄の一房をもぎ取って、細長い銀色のハサミで真ん中からぷつりと二つに切って、ジムと僕とに与えました。

 

 

罪を犯す僕の心の弱さや、幼少時のネガティブな感情、隠し通したい秘密など、告白文の様相を呈したこの短編は、多くの人の共感を呼び覚まします。

そして、先生と僕との関係性が、次の日の登校というイベントにクローズアップされます。

「明日はどんなことがあっても学校に来なければいけませんよ。あなたの顔を見ないと私は悲しく思いますよ。きっとですよ。」

人が行動を起こすきっかけとなるのは、そのベースに人間関係があるのだということを思い起こさせてくれます。

大事なのは人間関係しかないと言ってもいいのかも知れません。

 

私たちがやろうとしている医療は、この先生が見せた奇跡にヒントがある気がしています。

 

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