3番目の見方

ジョージ・バーナード・ショーの次の言葉を以前に紹介したことがあります。

 

グラスに入っているワインを見て、

「ああ、もう半分しか残っていない」

 と嘆くのが悲観主義者である。

「まだ半分も残っているじゃないか」

 と喜ぶのが楽観主義者である。

 

つい最近、この「ポジティブ」か「ネガティブ」の見方のほかに、3番目の見方があるのだということを教えていただきました。

人は、そこにある事実に意味をつけたがります。瞬間的に、良いことか悪いことか、得か損か、チャンスかピンチか、マルかバツか、二見的に意味づけをします。

「ジャッジする」とは、そういうことですね。

コップの水に対しても、「半分もある」と考えるのも「半分しかない」と考えるのも、事実はコップに水が半分入っているだけです。

多いか少ないかを、人が意味づけしているのですね。

 

意味づけせずに、あるがままの状態をそのまま受け入れるというのが、3番目の見方だというのです。

「あるがままに見る」とは、二見的なジャッジをしないこと。そして、そこに可能性と制限の両方が混在しているのだと想像することなのだそうです。

人に対しても(もちろん、自分に対しても)同じことが言えますね。

「出来・不出来」のジャッジは、もういい加減やめてもいいのではないでしょうか。

 

例えば、認知行動療法のコラム表へ記入を促すと、「出来事」は書けるのに、なかなか自分の心を掴みきれない方を見かけます。

日頃、自分の「気分」や「感情」について、気付いていないのかも知れませんね。

身体的な状態の「疲れた」を「気分」だと思っている方もいます。

「あの人に無視された」は、腹も立ったでしょうが、これは出来事です。

今、自分がどんな「感情」「感じ」であるのかに気づくことが、3番目の見方の第一歩だということです。

 

言葉にできないのは、言葉になる前の一瞬の感覚なのかも知れませんね。

「むっ」とか「お」とか「いえ〜い」とか…(笑)

その感覚をストップモーションできれば、もっと自分自身について知ることができるのだと言います。

まずは自分の感情に気づくこと。

あなたの内側は今、どんな感情がありますか?

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