禁煙とサトリ?

最近は、禁煙外来を受診される方も増えてきました。

まず、禁煙をしたいと第一歩を踏み出された決意に敬意を表します。その決意と実行力は素晴らしいことだと思います。

禁煙外来でお話をしているなかで、少し共通して誤解されていることがあるのではないかと思う面があって、ここでお話しておきたいと思いました。

 

それは、「禁煙に成功するとは、タバコを見ても欲しいとも何とも思わなくなること」ではないということです。もちろん、理想的にはそうなのですが、多くの方はそうではありません。

生まれてこれまで、1本も喫煙したことのない人は、確かにタバコを見ても何も感じないかも知れません。

「そこにタバコがある」ぐらいの認知でしょう。

しかし、ニコチン依存に陥った喫煙者は、身体的・精神的依存の両方から、強力な鎖でがんじがらめに縛られた状態です。

特に、ニコチン依存症は強力な依存として身体の奥の方まで浸透しています。

タバコについては、ちゃんと覚えていますし、禁煙が成功しても、油断するとつい手をのばしてしまうことがあるかも知れません。

それは、「やめられないのは意志が弱いせい」などとは決して言えないのです。治療薬を使うのは、そんな身体的依存を少しでもやわらげようとする狙いがあります。

 

禁煙とは、タバコの欲望から自らを遠ざけ、悟りを開き、より高い次元へと解脱する修行僧なようなもの…。

禁煙とは、タバコのことを忘れてしまうこと。

それらはすべて誤解です。

 

まずタバコが依存を導く強力なものだと認識すること。(敵を知ること)

そして、自分の心身はそれにとらわれたことがあると「弱い自分」を認めること。(自分の弱さを知ること)

弱い自分を認めたうえで、対策を講じ、健康をとりもどすという目的に歩みを進めること。(作戦をたてて実行すること)

 

禁煙とは、悟りを開くことではなく、「自らと周りの人々の健康を守る」ための現在進行形の一歩一歩の行為なのだと思っていただきたいのです。

すると、「弱い自分」だけではなく、「守護者としての強い自分」を再発見することにもなります。

再発見しながら、歩みを強めていく。そのための禁煙外来だと思っています。

 

つらく、苦しい修行なら、きついだけです。そういうネガティブなイメージを拭い去ってほしいのです。

ご一緒にいかがですか。

 

tabaco

2件のコメント

  1. まるで私のためにブログを書いてくださっておられるのかと一瞬ドキッとしました。
    我が地域の禁煙外来に通っても挫折。
    悟ることでもないし、釈尊がごとく苦行する訳でもないですねぇ。
    私が沖縄ならばさくだ先生のもとに馳せ参じたいです。
    また、明日からチャレンジ・・・
    まさにビンゴの記事です。有り難うございます。

    1. いつもコメントありがとうございます。(お返事遅れてしまいました。)
      禁煙って、挫折を繰り返してもいいんですよ!
      チャレンジすることが意味がありますし、素晴らしいことだと思います。
      応援しております。

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